甲子園の風BACK NUMBER
「学力最下位のヤンキー校」から激変…“甲子園から消えた名門公立校”沖縄水産に復活の兆し「文武両道で何が悪い。バカにするな」熱血監督たちの挑戦
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byTakarin Matsunaga
posted2025/08/06 11:08
沖縄水産野球部元監督の新垣隆夫。荒廃していた同校の立て直しに尽力した
目指したのは心の改革だった。スタートラインは正常な部活動に戻すこと。サンダル履きでグラウンドに来ることを禁止し、部訓を立てて規律を設けた。心に響く言葉や文章をグラウンドいっぱいに掲示し、子どもたちが学校の教職員や地域の人々にも親しまれ応援してもらえるように、野球や勉学以外にも地域のゴミ拾いをしながら挨拶をさせ、学校周辺の歩道の草刈りも定期的に行わせた。
増えた入部希望者「学力は向上し、風紀も改善」
膨大な時間と労力をかけた地均しが実を結び、2016年には中部商業、糸満で計4度甲子園に出場した上原忠を沖縄水産に招き入れる。新垣は同年夏の大会を最後に監督を退き、上原にバトンタッチした。上原が転任当時の様子を語ってくれた。
「まず沖水に行ってびっくりしたのは、メイン球場の外野のフェンスがささくれて斜めになっていたこと。外野の芝生はまだマシかなと思ったら湿地帯のような感じになっていました。土の部分はひび割れて、隣のサブグラウンドの外野は全部芝生なんですけど、デコボコでひどかったですね。道具もまともにありませんでした。当時、県内に70校弱あったと思いますが、学力では一番ビリです。生徒たちはまったく勉強してないからまともに鉛筆を持ったことがない。2年生に進学希望を書かせたらみんなが平仮名でしゅうしょく、しゅうしょく、しゅうしょくと書き出し、どこの会社に就職するの? って感じでした。就任当初の1年生には、4月から夏の大会まで朝7時から1時間毎日勉強させました。それでも(新垣)隆夫先生が環境を整えるまでは、もっとひどい状態だったはずです。本当に苦労されたと思います」
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県内でその手腕が高く評価される上原が沖縄水産の監督になったことで、野球部には1年生が50名以上入ってきた。定員割れは解消され、翌年以降も多くの入部希望者が受験し、最下位だった学力も一気に上がっていった。学力向上とともに校内の風紀も改善され、野球部にもいい選手が集まるようになり、設備も整えられていった。好循環が生まれだしたのだ。
2018年の秋季県大会準決勝では右のエース・國吉吹が沖縄尚学を相手に1対0でノーヒットノーランを達成し、その勢いのまま14年ぶりに優勝。惜しくも九州大会は1回戦で敗れ、19年夏の県大会は3回戦で雪辱を期する沖縄尚学に1対4で敗退。上原が沖縄水産で指揮を執った8年の間で、最も甲子園を期待された年だった。

