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甲子園の風BACK NUMBER
高校野球“まさかの番狂わせ”浦和学院の誤算…34歳監督が明かす“敗戦10日後の胸中”「1週間、高校野球を見られず…」公立校・滑川総合との激闘ウラ側
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樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byAsahi Shimbun
posted2025/07/30 11:05
「最強世代」の浦和学院がまさかの埼玉大会3回戦敗退。泣き崩れる選手たち
「いろんな方から『大丈夫?』と心配のメールや電話をいただきました。けっこうね、ネット記事とかそのコメント欄とか、見れるようになったの最近なんですよ」
「負けてから高校野球を見られなかった」
ふとした表情に失意が滲む。報道記事は滑川総合の勝利よりも、春の優勝校で夏も本命と言われた浦和学院敗戦の見出しが大きく躍っていた。
「実はですね、この1週間、体が拒否反応というのかな、高校野球を一切見られなかったんですよ」
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森監督は、父と同じ道をたどっている。前監督(森士氏)は27歳で監督に就任し、2年目に指導歴30年間で唯一の「地区予選負け」を喫した。本人曰く「地獄を見た」。名将も最初は苦労したに違いない。
「実はここまでの4年間が、前監督とほぼ一緒なんです。監督就任1年目でセンバツ4強まで行って、翌年に苦労する。3年目の夏に甲子園に行って、4年目は春に県優勝して夏は敗退。瓜二つなのかっていうくらい一緒です」
今と昔とでは、敗戦の重みも違うであろうが、3年生の選手にとってはもう二度と目指せない甲子園。逃したショックはとてつもなく大きい。
西田瞬主将(3年)は敗戦から10日が経ち、気持ちの整理ができたようだ。
主将「高校野球の怖さを知った」
「高校野球が終わったんだなって……そう思いました。負けた直後は頭が真っ白で、悔しくて、何も考えられなかったんですけど、浦学での高校野球は楽しかったなと振り返られるようになりました」
小学5年生の時、大宮公園球場で見た2018年の浦和学院に憧れて入学した。過去最高レベルの42人が入った学年。初めて出させてもらった1年春のオープン戦で、霞ヶ浦の木村優人(現ロッテ)から2本のヒットを打った。「速っ! これが高校野球なのか」と心の中でビビった。それでも1年夏の大会で打率3割5分を打ち、優勝。甲子園では背番号3をつけて、仙台育英戦で2安打2打点。このままあと4回、甲子園に行くつもりだった。
「新チームのキャプテンになった時は自分がやらなきゃって思ったんですけど、それだけだと勝てないと思った。自分の思いを副キャプテンの藤井(健翔)や垣内(凌)、林田(大空)とかに伝えて、みんながリーダーシップを発揮してくれた。孤独になることはなかったです」
7回から登板した滑川総合の捕手・篠崎陽輝は、西田の幼稚園からの幼馴染だった。開会式で再会を楽しみ、試合では4打席目に左手への死球を受けた。
「ストレート当てちゃってごめんね、って言われました。球が抜けちゃったらしいです。思ったより球が来てて、差し込まれてしまった」
運命のいたずらか、幼い頃から知る友人が、西田たちの甲子園への道を断つことになった。
「高校野球の怖さを知ったというか、これが高校野球なんだなって思いました」
「1-4」浦和学院の誤算
試合を改めて振り返る。

