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「1991年ドラフトの失敗」暗黒時代の阪神が中村紀洋を獲らず萩原誠を1位指名したワケ…名スカウトの怒り「結局、獲りやすい選手を獲っていた」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2025/08/04 17:00
1991年のドラフトで阪神が指名した選手。高校生野手にはのちの大打者・中村紀洋もいたが、阪神は萩原誠(中村勝広監督の左隣)を1位指名した
甲子園で活躍した選手は、必然的に注目度も高くなる。さらに萩原は、大阪生まれの大阪育ちでもある。これだけのファクターが重なると、萩原以外の選手を推薦する場合、その人気や実績、スター性を上回るだけの素材を持ち、将来は絶対に伸びるだろうと予測できるだけの“強い裏付け”を提示しなければならない。
近鉄はあの中村紀洋を「4位」で獲得した
菊地が指摘した問題点は、近鉄の4位が大阪・渋谷高の中村紀洋だったことだ。
日米6球団、23年間で通算安打2106本、404本塁打を放つ大打者に成長した中村は、大阪府立渋谷高での2年夏、甲子園に出場している。
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当時から「4番・サード」で、2番手投手も務めていた。公立高で、激戦区の大阪を勝ち抜いた原動力であり、その潜在能力たるや、計り知れないものがあったはずだ。
ただ、甲子園での実績やネームバリューでいえば、その時点では萩原が“上”だ。
「でもスカウトという立場から言えば、萩原誠を1位で推薦しちゃダメなんだよ。やっぱり中村じゃなきゃ、おかしいんですよ。スカウトは同じ地区で、萩原と中村を同じくらいの数は見ているはずなんですよ。中村は近鉄の4位でしょ? 中村の評価をしていなかったということは、関西担当のスカウトがダメでしょ、という、そういった話が出てこないとおかしい。そういうのは反省してかなきゃいけないところだと思うんですよ」
地元に2人の逸材がいた
その中村を「ミスター大阪」と断言していたスカウトがいた。
当時、近鉄のチーフスカウトだった河西俊雄は、かつて阪神のスカウトとして、市和歌山商・藤田平、大阪学院高・江夏豊ら、高卒選手の秘めた能力を見抜き、ドラフトでの上位指名にこぎつけていた。
その名うての目利きである河西が、中村の「打」を高く評価していたのだ。その年、近鉄は上位指名3人が投手。つまり、野手の最上位となる「4位」が中村だったのだ。
だから、1991年には、大阪に萩原と中村という高校生野手の逸材がいたのである。
〈つづく〉

