テレビに映らない大谷翔平:番記者日記BACK NUMBER
“テレビに映らない”大谷翔平「内出血と青アザが」報復死球騒ぎも高笑い…番記者が「7階から投球練習観察」で気づく“エンゼルス時代との違い”
posted2025/07/01 17:02

死球騒動もあった中でマウンドに立つ大谷翔平。番記者が気づいたこれまでとの“大きな違い”とは
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柳原直之(スポーツニッポン)Naoyuki Yanagihara
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Jayne Kamin-Oncea/Getty Images
《6月19日 vsパドレス(ドジャースタジアム)●3-5》
思わず震えた――今季2度目の米国出張、ドジャース取材を前にしてである。
半袖Tシャツ姿で酷暑の東京を発ち、ロサンゼルス国際空港に到着すると、想像していたよりはるかに冷たい空気が素肌にぶつかった。最高気温は25度だが、体感はもっと涼しい。日本との時差は16時間。この日はドジャースタジアムでパドレスとの4連戦最終日。私と入れ替えで日本に帰国する後輩記者にこの日の取材は任せ、ドジャースタジアムには立ち寄ることなく、すぐにホテルに向かい、泥のように眠った。
死球翌日…挨拶すると「お願いしまーす」
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《6月20日 vsナショナルズ(ドジャースタジアム)◯6-5》
前夜までのパドレス4連戦は両軍計8死球と荒れに荒れ、最終戦ではドジャースのデーブ・ロバーツ監督、パドレスのマイク・シルト監督が両者退場になるなど乱闘騷ぎになった。その中で大谷は17日の2戦目、3回に右太腿横に死球を受けると、19日の9回には右肩付近に再び当てられた。
午後3時。一夜明けてもどこかピリついた雰囲気を感じながらクラブハウスに向かったが、ロッカーでナインと談笑する大谷の姿を見て、その心配は杞憂だと分かった。前夜のことなど忘れたかのようにいつもの高笑いを響かせていた。大谷の魅力や選手としての強みは数え切れないほどたくさんあるが、この気持ちの切り替えの早さも大きな武器という気がしている。
そうだ、挨拶をしなければいけない。
大谷が自身のロッカーで、契約するワコールの特殊サポーターを装着している時がチャンスだと思った。
私は早歩きで歩み寄り「きょうからよろしくお願いします」と声を張った。すると、振り返った大谷から、明るい返事があった。
「お願いしまーす」
担当記者として12年目を迎えるがいつもこの瞬間が緊張する。いつもと変わらない大谷に安心した。
ちなみに、日本ハム時代からマンツーマンの取材は禁止され、昨季途中から出張時の手土産を渡すことも禁じられたが、挨拶は黙認されている。大谷自身はどこ吹く風だが、球場の出入りは常にセキュリティーの「アルさん」が同行している。今や満票MVP3度を誇るメジャーの顔。たったひと言でもその影響力は計り知れないからだ。
じつは“メジャーで最も厳しい”ド軍ブルペン取材
その後の練習で大谷は、登板2日前に恒例となっているブルペンでの20球の投球練習を行った。