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「長嶋茂雄は天才だった」は本当か? あの野村克也も知らなかった“長嶋の本当の顔”「内角だと予感した」なぜ最強ピッチャー・稲尾和久を打ち崩せたか
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/14 06:00
「長嶋は配球を読まずに3割を打った天才」は本当なのか?
大学時代の発言「意識してねらった」
立教大学4年の1957(昭和32)年、春季リーグ戦で六大学タイ記録の7号ホーマーを放った際、こんなコメントを残している。
〈このところカーブで攻められるので、カーブを意識してねらっていた〉(1957年4月15日付/読売新聞)
長嶋は野村よりも先に、配球や投手心理の重要性に気づいていた節がある。入団1年目の1958年、金田正一からの初ホーマー時には、こう言っている。
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〈本塁打はカーブでした。この時は内藤さんに打たれたあとなので、金田さんも動揺していると思い、最初から初球をねらっていました〉(1958年7月2日付/読売新聞)
野村は前述の「長嶋が配球を読まない」例として、日本シリーズで長嶋と対戦した西鉄ライオンズの稲尾和久の話を綴っている。鉄腕は、相手の心理を読んで打ち取ることに長けていた。だが、長嶋には通用しなかった。そのため、「深く考えないバッターに違いない」と開き直ると、抑えられたという。
〈悟りを開いたのち、稲尾は長嶋を封じることができるようになった。投げるほうも、考えずに無心で対したからである〉(1983年9月9日号/週刊朝日)
稲尾和久を打ち崩したウラ側
長嶋が稲尾から初めてスタンドに放り込んだ1963(昭和38)年の日本シリーズ第3戦を紐解いてみよう。先制2ラン、勝ち越し二塁打を放ったミスターは試合後、こう振り返っている。
〈本塁打したのは外角にくるスライダーを予測していたので、うまくバットがふれた〉(1963年10月31日付/読売新聞)
稲尾の配球を読み、ライトスタンドへ運んでいた。この2打席目にスライダーを待った理由は、1打席目の見逃し三振にあったという。
〈ボールだと確信したから見送ったんだ。川瀬主審のストライク・ゾーンが広いとわかったので、本塁打したときも第一打席とおなじところで勝負してくると待っていたんだ〉(前掲紙)
野村や世間の抱くイメージと違い、長嶋の発言からはクレバーな一面が滲み出ている。1ストライク1ボールからシュートを打ち返した3打席目の二塁打については、こう話している。

