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「長嶋茂雄は天才だった」は本当か? あの野村克也も知らなかった“長嶋の本当の顔”「内角だと予感した」なぜ最強ピッチャー・稲尾和久を打ち崩せたか
posted2025/06/14 06:00

「長嶋は配球を読まずに3割を打った天才」は本当なのか?
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
長嶋茂雄が残した言葉を検証すると、ひとつのイメージが誤っていたことがわかる。「長嶋は配球を読まずに3割を打った天才」。あの野村克也も知らなかった“本当の長嶋論”。【全2回の1回目/2回目へ】
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〈来た球をですね、ストライクならば打つ、ボールは見逃す。シンプルな気持ちでね、いつも僕は入っていたんですよ〉(2003年1月6日放送『徹子の部屋』テレビ朝日系)
無心で、来た球をパーンと打つ――。自身の発言もあり、長嶋茂雄はそんなイメージで語られてきた。野村克也はこう言っている。
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〈来た球に合わせて打つだけでは二割七、八分しかいかない。足りない二、三分をどう埋めるかというと、配球を読んで対応する。(中略)長嶋はこれをほとんどしない。来た球を打って三割に届いた。こんなバッターは後にも先にも彼しかいない〉(1983年9月9日号/週刊朝日)
「配球を読まなくても打てた」は本当か?
野村は天才型のミスターと違い、頭を使って這い上がってきたと自負していた。その象徴が「配球予測」である。入団4年目の1957(昭和32)年に初の本塁打王を獲得した野村は翌年、大スランプに陥る。打撃フォームが悪いと考え、特打を繰り返した。しかし、一向に調子は上がらない。その頃、後援者である実業家の「世の中のすべては相対なんだぞ」という言葉をヒントに、投手の癖や心理を読むようになったという。
〈素質の足りない分を「予測」で補ったのである。長嶋や王のように天分だけで三割が可能なバッターなら別だが、わがランクのバッターはみんな、こうした方法で不足を埋め合わせてきた〉(1984年6月22日号/週刊朝日)
長嶋は本当に「配球を読まなくても打てる天才」だったのか。あるいはそれは、イメージ上の虚像に過ぎないのか。丹念に、歴史を追ってみよう。