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「カタールW杯も、難しいよねという状況からだった」浅野拓磨は“苦境が伸びしろ”…ケガ続きの1年も「可能性0%から1%、2%となるのが楽しい」

posted2025/06/11 17:00

 
「カタールW杯も、難しいよねという状況からだった」浅野拓磨は“苦境が伸びしろ”…ケガ続きの1年も「可能性0%から1%、2%となるのが楽しい」<Number Web> photograph by Getty Images

浅野拓磨のリーガ初挑戦はケガで不完全燃焼だった。来年のW杯に向けて、新シーズンはジャガーポーズ量産を誓う

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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今季、ドイツからスペインのラ・リーガへと活躍の場を移した浅野拓磨。チームのツアーで来日中の彼が、チーム公式ウェアのパートナーであるCAMPERLABの展示場でNumberWebの独占インタビューに答えた。〈全2回の1回目/2回目へ〉

 浅野拓磨はいつだって意欲に溢れている。ピュアな飢餓感を胸に抱く。

 ラ・リーガのRCDマジョルカへ新天地を求めた24-25シーズンは、21試合出場で2得点1アシストに終わった。ハムストリングなどの負傷で3度も戦列を離れた影響で、リーグ戦の半分近くを欠場することとなってしまった。

 それでも、ネガティブ思考には陥らないのである。30歳になったスピードスターは現実をしっかりと見定めながら、さらなる「伸びしろ」を見出している。

度重なったケガの理由

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——24-25シーズンは、3度の戦線離脱を強いられました。浅野選手にしては珍しいことでしたが、その理由はドイツからスペインへ移った環境の変化なのか、ピッチコンディションの違いなのか、あるいは勤続疲労的なものだったのか。それとも、何か別の理由だったのでしょうか?

 これがっていう要因は言えないですけど、何かひとつじゃなくてすべて関係しているだろうな、と感じています。去年の11月で30歳になって、自分では年齢を気にしていないけれど、積み上がってきたものはある。いままでやってきたことは力になっているし、負担が積み重なってきているのもあるんだろうな、と。

 僕は若い時からどこか痛かったりというのがありながら、それをカバーするためにトレーニングしたり、ケアしたり、リカバリーに力を入れたりということを繰り返してきました。その痛かったところを完全に良くすることができたのかと言うと、そうではなかったんですね。

——16年のリオ五輪後にヨーロッパへわたってからは、日本代表の活動にもほぼ継続的に参加していますし、どこかしら痛みを抱えながら、というのは避けられなかったのかもしれません。

【次ページ】 ドイツでの最後の半年の不調

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