革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「お前、全然アテにされてないぞ」1994年近鉄主力と首脳陣の間の“微妙な風”と“真逆の野球観”…「野茂英雄はずっと怒っていました」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2025/05/30 11:01

鈴木啓示監督ら首脳陣と野茂たちは調整法から野球観まで対立した。そして1994年の主力選手たちは次々と流出していく
吉井理人、石井浩郎も
1988年に最優秀救援投手賞、94年には先発として7勝を挙げていた吉井理人も、95年の開幕直前、西村龍次との交換トレードでヤクルトへ。阿波野と同じ1964年生まれで「10.19」の第2戦に先発した右腕・高柳出己も、1995年オフに自由契約となってロッテへ。野茂が右肩痛で後半戦を棒に振った94年に12勝、翌年も2桁勝利を挙げてエースの座をつかんだ山崎慎太郎も、97年オフにFA権を行使して福岡ダイエーへ移籍している。
石井浩郎も、左手有鈎骨の骨折で手術を受けた96年、わずか2試合の出場に終わったのだが、そのオフの契約更改交渉で年俸1億2750万円(推定)から、減額制限の40%を大幅に超える5000万円を球団側に提示されて交渉決裂。巨人へ移籍することになる。その経緯と石井の思いについては連載の次回シリーズで詳述する予定だが、野茂のメジャー移籍を含め、猛牛らしさを存分に醸し出していた主力たちが、年を追うごとにいなくなっていった。
「お前、全然アテにされてねえぞ」
冗談めかして阿波野が明かしてくれたドラフトにまつわる秘話は、その“伏線”とも言えるエピソードの一つでもあった。
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91年オフ、オーバーホールのために石川県内の温泉に高柳とともに滞在中、ドラフト会議の中継を見ていたのだという。
近鉄の1位指名は法大・高村祐。ルーキーイヤーの92年に13勝を挙げ、新人王に輝いた右腕だ。
「タカ、お前、全然アテにされてねえぞ。即戦力、獲られてるじゃねえか」
阿波野は、同級生の右腕をそう冷やかした。すると、続く2位には神戸製鋼・江坂政明が指名された。当時24歳の即戦力左腕だ。今度は、高柳が阿波野に逆襲してきた。
「お前も、全く信頼されてねえじゃん」
2人で、そう言い合って大笑いしたのだという。
仰木彬が92年限りで勇退し、鈴木啓示が93年から監督に就任。その頃から、自分たちへの“風向き”が変わったことに、阿波野は気づかされたという。