革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
野茂英雄に「このまま死んだら思いを伝えられない。ただ、ひたすら頭を下げたいんです」最大の盟友・佐野重樹の悔恨と「1994年の野茂の決断」の真相
posted2025/05/30 11:00

1994年、自主トレをともにする佐野重樹と野茂。のちにトラブルを起こしてしまった後悔、そして94年の真相を佐野が語った
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
KYODO
佐野重樹(現・慈紀)にコンタクトを取ったのは、およそ7年ぶりのことだった。
取材をしようと思い立ったのは「1994年の近鉄バファローズ」と野茂英雄をめぐる一連のストーリーに佐野が出てこないことが、ちょっと考えづらかったからだ。
常に野茂の傍らにいた盟友
あの頃、野茂英雄の横には必ずと言っていいほど、佐野の存在があった。
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気の合う2人は、現役当時はグラウンド内外で、常に連れ立って行動していた。だから時には、野茂に関することを佐野に聞いたこともあった。もちろん、そうそう簡単には親友のプライベートをぺらぺら語ったりはしない男だ。それでも、報道陣にはガードの固かった野茂だっただけに、佐野との会話から導き出されたちょっとしたヒントのお陰で、野茂の行動や練習の状況をある程度、把握することができたりもした。
当時、プロ野球担当1年目のルーキー番記者には、本当に助かる存在だった。
ただ、佐野は現役引退後、野茂との間での個人的な借金トラブルから、かつての親友に返済を求めて訴訟を起こされた。持病の糖尿病が影響して心臓疾患も繰り返し、2024年5月には右前腕部を切断する手術を受けている。
入退院を繰り返しながら、今なお、長い闘病生活が続いている。
トラブル発覚直前の出来事
そうした背景を伝え聞いていたから、連絡するのには正直、躊躇した。2018年に借金トラブルが発覚する直前、実は週刊誌の記者から、私の元にも“探り”があった。
「佐野さん、どうされているかご存知ありませんか?」
なんで、そんなこと聞いてくるんだろう? 妙な予感がしたため「知らない」と返事するや否や、佐野に慌てて連絡を入れた。