革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

野茂英雄に「このまま死んだら思いを伝えられない。ただ、ひたすら頭を下げたいんです」最大の盟友・佐野重樹の悔恨と「1994年の野茂の決断」の真相 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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posted2025/05/30 11:00

野茂英雄に「このまま死んだら思いを伝えられない。ただ、ひたすら頭を下げたいんです」最大の盟友・佐野重樹の悔恨と「1994年の野茂の決断」の真相<Number Web> photograph by KYODO

1994年、自主トレをともにする佐野重樹と野茂。のちにトラブルを起こしてしまった後悔、そして94年の真相を佐野が語った

贖罪、そして野球人としての存在の証

 佐野の著書「右腕を失った野球人」(KADOKAWA)は、車椅子に乗った佐野の近影が表紙カバーになっている。その横顔が、どこかもの悲しく映るのは、こちらの先入観のせいだろうか。今回の取材で待ち合わせをし、近くのコーヒーショップまで一緒に歩いたが、入退院の繰り返しで体力が落ち「体幹が弱くなっているんよ」と、時折ふらつくなど、どこか危なっかしい面もあったのは確かだった。

 ただ、発する言葉には、前向きな響きが感じられた。

 思いの丈を言葉にして、きちんと残しておきたい。佐野の発言の端々から、その切なる思いが伝わってきた。これを、できる限り伝えてあげたいという使命感が、私の心にも湧いてきた。

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 かつての親友への贖罪。そして、プロ野球選手・佐野重樹という存在の証。それらのすべてを含めて、今回の「1994年の近鉄バファローズ」で描くから、と佐野に伝えた。

「それはありがたい。それで(野茂に)伝わってくれたら、というだけではなくて、向こうが受け入れてくれるんだったら、1分でも、30秒でもいいから、会って、ただただ、ひたすら、頭を下げたい、ということだけなんです」

元中継ぎエースの述懐

 退院直後の慌ただしく、まだ落ち着かない状況にもかかわらず、佐野は今回、1時間半近くにわたって、自らの現状を交えながら、30数年前の出来事を振り返ってくれた。

 連載の今シリーズでは、この“元中継ぎエースの述懐”を中心に、野茂英雄のメジャー移籍に至る経緯と、近鉄のチームメートたちが、その決断に関する一連の動きを一体、どう見ていたのかというところに、焦点を当てていきたい。

【次ページ】 “野茂故障”のプレスリリース

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