ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER

「世界王者になっても職質された」「山手線にベルトを忘れ…」“超個性派ボクサー”小堀佑介の天然伝説「じつは日本人で3人だけ」ライト級世界王者の偉業

posted2025/05/27 11:04

 
「世界王者になっても職質された」「山手線にベルトを忘れ…」“超個性派ボクサー”小堀佑介の天然伝説「じつは日本人で3人だけ」ライト級世界王者の偉業<Number Web> photograph by Mikio Nakai/AFLO

2008年5月19日、日本人3人目のライト級世界王者となった小堀佑介(当時26歳)

text by

渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

PROFILE

photograph by

Mikio Nakai/AFLO

 魅力的なボクサーがいた。ひとたびリングに上がれば荒々しいパンチで相手をなぎ倒し、リングを離れれば味わいのあるボケっぷりで周囲を温かい気持ちにさせる。小堀佑介は2008年にWBAライト級王者となり、翌年の初防衛戦で敗れて引退した短命王者だった。在位期間は短かったものの残したインパクトは絶大だった。引退からおよそ16年。いまあらためて個性派ボクサー、小堀佑介の足跡を振り返る。(全2回の1回目/後編へ)

“異例の会場”で行われた世界戦の真実

 小堀が世界初挑戦の舞台に立ったのは2008年5月19日、いまはなき東京・ディファ有明だった。同会場でボクシングの世界戦が行われるのは初めてだったが、それには訳がある。小堀が世界王者になる上で欠かせないキーパーソン、萩森健一氏が5月19日という日付にこだわったからだ。この日あいている会場は限られていた。

 5月19日は白井義男が日本人として初めて世界チャンピオンになった日(1952年)であり、日本プロボクシング協会によって2010年に「ボクシングの日」と制定された。さらに小堀が07年同日、村上潤二を下して日本王座の4度目の防衛に成功し、同時に東洋太平洋スーパーフェザー級王座に就いた日でもあった。

 小堀と萩森氏の出会いは世界戦実現の数年前にさかのぼる。小堀が日本タイトルの初防衛に成功したころ、いちファンであった萩森氏から一通の手紙が届いた。手紙には小堀を応援したい、世界を狙える実力がある、といった趣旨の内容が書かれていた。

ADVERTISEMENT

 マメなボクサーはチケットを買ってくれたり、ファンレターをくれたりした人にはお礼の電話や手紙を出すものだが、小堀はそういうことを一切しないタイプだった。ところがこのときは「たまたま何もすることがなくて」萩森氏に電話をかける。これを機に小堀は萩森氏のサポートを受けるようになった。

【次ページ】 「世界戦はうれしい。けど申し訳ない…」

1 2 3 4 NEXT
#小堀佑介
#萩森健一
#田中栄民
#ホセ・アルファロ
#ガッツ石松
#畑山隆則
#ドン・キング

ボクシングの前後の記事

ページトップ