酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「原巨人、野村ヤクルトと同等の黄金期」落合中日が作った“現代プロ野球戦術の礎”とは「岩瀬仁紀と浅尾拓也、アライバが象徴だった」
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph byNaoya Sanuki
posted2025/05/31 17:02

計4回のリーグ制覇を成し遂げた落合博満監督時代の中日。現代野球にも大きな影響を与えた戦術とは
日本プロ野球は、「二遊間の名コンビ」を数多く生み出してきた。しかし同じコンビで5年以上、ともにシーズン90試合以上守備に就いた二遊間は、89年に及ぶプロ野球の歴史で以下の例しかない。年数と二塁と遊撃手の並びとともに紹介する。
《11年》
中日:2002~09、11~13
荒木雅博、井端弘和
《8年》
西鉄:1955~62
仰木彬、豊田泰光
広島1990~91、93~98
正田耕三、野村謙二郎
ADVERTISEMENT
《7年》
巨人:1999~2005
仁志敏久、二岡智宏
《6年》
広島:2015~20
菊池涼介、田中広輔
《5年》
大阪:1953~57
白坂長栄、吉田義男
阪神:1959~63
鎌田実、吉田義男
ロッテ:1974~78
山崎裕之、飯塚佳寛
巨人:1980~84
篠塚利夫、河埜和正
ソフトバンク:2007~11
本多雄一、川崎宗則
西武:2020~24
外崎修汰、源田壮亮
その中でも二塁荒木、遊撃井端の「アライバコンビ」は群を抜く11年、そしてこの期間に「落合中日」は丸ごと入っている。
井端は、守備範囲はそれほど広くないが、グラブさばきが巧みで、守備率は実に.988。これに対して荒木は抜群に守備範囲の広い二塁手だった。お互いの特性を補完し合うコンビを中心に鉄壁の内野陣を形成し、中日は全盛期を迎えるのだ。
驚くべきことに、中日の落合博満監督は2010年に2人のポジションを交換した。「アライバ」ならぬ「イバアラ」コンビが実現。しかしこの年、二塁に回った井端が眼の不調を訴え、2012年には「アライバ」に戻した。中日は11年間も内野の要が盤石だったことで4回も優勝することができたと言える。
落合中日の個性は強いが…歴代名選手も職人集団
三冠王3度、NPB史上最高の右打者と言われた落合博満だが、監督として築き上げたのは「徹底的な守りの王国」だった。落合監督は前例にとらわれることなく、有能な選手を抜擢しつつ「役割」「使命」を与えて絶対的なスペシャリストに育てた。
そのチーム構築法は、それ以前の「テクノクラート(職人)集団」と言われた中日ドラゴンズとも色合いが違っている。落合中日の個性があまりに強かったために、その後の中日はアイデンティティを決めかねている――というところだろうか。
とはいえ80年を超えるドラゴンズの名選手たちの成績を見ていくと、歴代ベストナインを決めるのは非常に難しいことにも気づかされる。〈つづく〉

