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「花は天真爛漫で“陽キャ”でした」逝去から5年…元女子プロレスラー・木村花さんの母が語る“幼少期”「パパ、どこにいるの?」娘に聞かれた日
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)Takuya Sugiyama、R)木村響子さん提供
posted2025/05/23 11:01
木村響子さんと、お好み焼きを食べる幼少期の花さん
木村 2人で暮らしてたころは電気が止まったことがあるので、ラクではなかったですね。3、4歳ぐらいのころかな。花がおたふく風邪、水ぼうそうなどの病気にかかると、私は1日いくらという働き方だったので、収入がガクンと減ってしまって。まだプロレスをやる前で、母のお好み焼き屋さんを引き継いだり、建築の防水の仕事とか、現場監督の助手とか。ヘルメットをかぶって作業服を着たまま、自転車で保育園に送り迎えとかしてました(笑)。
電気が止まったときは、家中のキャンドルをかき集めて、ロウソクと一緒にサンタが踊りだすクリスマスグッズを出して。そしたら、「うわっ、パーティーだ!」って、花が一緒に踊りだしちゃって。電気が復旧したあとも、「ねぇ、ママ。また、あれやろうよ」ってね、とにかく明るくてポジティブな子。お米を買うお金がないときは、小麦粉と水ですいとんをつくったら、「すっごいおいしい!」って喜んでくれたり。おかげで、貧乏料理がいちばん得意になりました(笑)。
「花は天真爛漫で、いまで言う陽キャで…」
――この子を絶対に育てあげるんだという、シンママの強さを感じます。
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木村 でも、いま考えると、あのときはすごい楽しかったなぁって思うんですよ。スーパーの食材が半額になる時間を狙って買いにいったり、廃棄されるキャベツの外葉を、「うさぎにあげるんでください」って言ってもらって(笑)、煮込んで食べたり。いろんな料理テクを覚えて、お肉がたくさん入ってなくても、牛脂を使えば肉の風味がすごく出るとか。それもね、花は「おいしい!」って食べてくれるんで。
――親子のとっても幸せな時間だった?
木村 当時は忙しすぎて、噛みしめる時間がなかったんですけど、いま振り返ると資本主義とかけ離れたプライスレスなものがそこにあったなって思っていて。お金に換えられない、どんなものとも比べられないものですね。
――当時、誰にも頼らなかったんですか。
木村 決してそんなことはなくて、20歳で出産したから、「子どもが子どもを産んだ! 心配だ!」っていう雰囲気で、周りのサポートはすごく手厚かったと思います。そこはほんと、恵まれてた。家の前の公園で知り合ったママ友がすごくいい人で、でも、離婚したことはなんとなく言えなかったんですね。ある日、「そういえば最近、パパを見かけないね」って言われたので、「実は離婚したんだよね」って打ちあけたら、「えっ、私も!」「私も」って、同じ時期に3人ぐらいが離婚してて。バツイチの会みたいに、シンママ同士で助けあってました。どこかの家の子がおたふく風邪にかかったら、預けて面倒を見あったり。おかずを届けあったり、公園に大きいプールを出したり、お誕生日パーティーを開いたり。花は天真爛漫で、いまで言う陽キャだったから、すっごい楽しそうで。

