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「アピール用の練習はいらない」「監督に年賀状も不要」元ヤクルト監督・真中満が“合理的マネジメント”で優勝も「負けるより苦しかった」こと
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/05/07 11:03

2015年に監督に就任すると、2年連続最下位だったスワローズをいきなり優勝に導いた真中満氏の“合理的マネジメント”とは?
「とにかく打てる選手、調子のいい選手を上位に集めて、1番から5番までで何とか点をとる。言い方は悪いけど、6番以降はもうしょうがないくらいの割り切りで打線を組んでいました。となれば2番が小技でランナーを進めてもしょうがないので、どんどん繋げていこうと。そこで2番の川端がうまくハマって頑張ってくれました」
最大の課題だった投手陣は、守護神のトニー・バーネットに加え、ローガン・オンドルセク、秋吉亮といった盤石のリリーフで守り抜く戦法をとった。先発陣の勝敗の貯金はわずか「1」という一方で、7回を終えてリードしていた試合は勝率.984。6回までは首脳陣が工夫を凝らしてあの手この手でやりくりした。
「当時投手コーチだった高津(臣吾・現)監督と本当に色々話し合って、何とか凌いでいましたね。でもこのチームが勝つならこういう方法しかない、というやり方だったと思います」
大混戦を制した思いとは
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優勝争いは史上稀に見る大混戦となる。残り20試合を切った時点で巨人、広島、阪神との上位4球団が3ゲーム差以内にひしめく異例の展開。終盤のミーティングで真中監督は「最後は優勝にふさわしいチームが勝つ。今のスワローズは全員が納得してくれるチームであると俺は思う」と話し、若い選手たちを奮い立たせた。
最後は阪神との最終戦をサヨナラ勝ちで制して優勝決定。14年ぶりのリーグ制覇は劇的な幕切れだった。
「あの瞬間は本当に特別でした。今振り返ると、その後の監督生活は苦しいシーズンだったけれど、勝てない苦しさより優勝争いをしているあの時の方が苦しかったと思う。当時生え抜きでは石川(雅規)ですら優勝経験がなかったので、マジック3とかになった時、この選手たちが優勝したらどういう表情をするんだろう、と想像したら涙が出てきたりしてね。
みんなに何としても優勝を味わわせてあげたい、という思いが一番プレッシャーでした。だから、決まった時の安堵感、達成感は本当に大きかったです」
就任1年目でのドラマチックな優勝。しかし、光があれば闇がある。「勝つ」喜びと「勝てない」苦しみ……。ディフェンディングチャンピオンとして迎えた16年は5位に終わり、3年目の17年は球団史上ワーストの96敗を喫した。真中氏が今だから明かす、当時の苦悩とは——。

