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「1年で22完投15勝」1987年“史上最高の新人王争い”を制した阿波野秀幸の西崎幸広への思い「ニシはライバルじゃなく、打倒・西武の同志かな」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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photograph byMasahiro Nagatomo

posted2025/04/29 17:03

「1年で22完投15勝」1987年“史上最高の新人王争い”を制した阿波野秀幸の西崎幸広への思い「ニシはライバルじゃなく、打倒・西武の同志かな」<Number Web> photograph by Masahiro Nagatomo

当時としても激レアな、試合前の阿波野と西崎のツーショット。「ライバル」と思われがちなふたりだったが、その本音は…

 当時の西武打線には秋山幸二、清原和博、オレステス・デストラーデの「AKD砲」が並んでいた。

「絶対に打たれたくないと思ったのはあのクリーンアップですね。でも、彼らに気を取られるとほかのバッターに打たれてしまう。石毛宏典さん、辻発彦さん、伊東勤さんも勝負強かった。もし近鉄が1989年に西武を倒せなかったら10連覇していたかもしれません。そのくらい戦力が充実していましたからね」

西崎はライバルではなく、打倒・西武の同志だった

 見方を変えれば、阿波野も西崎も、打倒・西武に燃えた同志と言えるだろう。

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「僕は近鉄で、ニシは日本ハムのエースとして、あの強かった西武に勝つために全力で投げたことは間違いありません」

 1980年代後半、すぐに投手陣の柱になったふたりは、現代の常識で考えれば酷使とも言えるほどの起用方法に耐えた。もうひとりの、細身のエースの活躍に刺激を受けながら。

「ニシはずっと気になる存在でしたけど、ライバルではありません。シーズン前、一緒に自主トレをしたこともあります。当時、他球団の選手とやることなんかなかったんですけど、沖縄の名護でこっそりとね。『どうせなら一緒にやろうか』と言って」

 いたずらが見つかった子どものように、阿波野は静かに笑った。

〈全5回/西崎幸広編も公開中!〉

#4に続く
「日本ハムってどこにある球団?」社会人内定していた西崎幸広“まさかのドラフト1位”が「できて5勝」の評価から阿波野秀幸と新人王争いできたわけ
この連載の一覧を見る(#1〜5)

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