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「1年で22完投15勝」1987年“史上最高の新人王争い”を制した阿波野秀幸の西崎幸広への思い「ニシはライバルじゃなく、打倒・西武の同志かな」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byMasahiro Nagatomo
posted2025/04/29 17:03

当時としても激レアな、試合前の阿波野と西崎のツーショット。「ライバル」と思われがちなふたりだったが、その本音は…
「プロ野球に入ってから驚いたのは練習が楽だったこと。それだけ亜細亜大学で厳しく鍛えられたんだと思います。プロ1年目は大学時代で培ったもので勝負していました。
ニシもおそらくそうだったんだと思いますが、そのあとの彼の投球を見て『球種を増やしたんだな』とか『攻め方を変えてきたな』と思ったりしました」
ルーキーからエースへ
2年目以降、ふたりはエースと呼ばれるようになった。
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阿波野は1988年に14勝12敗1セーブ、防御率2.61という成績を残した。1989年は19勝を挙げ(8敗1セーブ、防御率2.71)最多勝利投手のタイトルを獲得し、近鉄に3度目のリーグ優勝をもたらした。
西崎は1988年に15勝を挙げて最多勝投手になり、1989年も16勝をマーク、1991年まで二桁勝利を記録している。
「ニシとは新人王や最多勝を争いましたが、あくまでチームの勝利、順位が最優先。個人タイトルよりもチームの優勝が大事ですから。
ふたりが初めて先発で投げ合ったのは1989年10月8日。藤井寺球場での試合でした。それまでも『いつ投げ合うことになるんだろう』とは思ってましたが、優勝争いが激しくなっていたので、個人的なことはまったく意識しませんでした」
リーグトップの17勝をマークしていた阿波野が日本ハム打線を抑え、4対0で勝利した。
「その後、開幕戦で投げ合ったことが一度ありました(1991年)。そのときはニシが勝ったんですよ」
チームを移ったふたり
そして、ふたりが次に同じマウンドに立つのはさらに7年後のことだった。
1994年オフに読売ジャイアンツにトレードされた阿波野は、1998年から横浜ベイスターズのユニフォームを着ていた。その頃には、先発ではなく中継ぎとして起用されるようになっていた。
1998年日本シリーズの第4戦、7回裏に阿波野がマウンドに上がった。9回表、ワンアウトから登板して試合を締めたのが、その年から西武に移籍していた西崎だった。