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「1年で22完投15勝」1987年“史上最高の新人王争い”を制した阿波野秀幸の西崎幸広への思い「ニシはライバルじゃなく、打倒・西武の同志かな」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byMasahiro Nagatomo
posted2025/04/29 17:03

当時としても激レアな、試合前の阿波野と西崎のツーショット。「ライバル」と思われがちなふたりだったが、その本音は…
かつてのエースたちは球団も役割も変わっていた。
「ニシも僕も入団3年目まで同じような成績を残してきました。僕は3年間で700イニング以上(705回と3分の2)、ニシも同じくらい投げましたよね(671回)。本当に似たようなキャリアを積んできました。
日本シリーズで対戦した時にはふたりとも、30代になっていました。移籍したり、投げるところが変わったり、いろいろな苦労をして、日本シリーズで投げ合えたことに対する感慨はありました。『ふたりとも、よくここまで戦ってこられたな』と。きっとお互い、そうだったと思います」
ライバルと思っていたのは工藤さん
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大学時代に日本代表として戦ったふたりは、プロ野球での厳しい戦いを全うした。阿波野が2000年限りで、西崎はその翌年にユニフォームを脱いだ。
阿波野の14年間のプロ通算成績は75勝68敗5セーブ、防御率3.71だった。
「僕にとってライバルと言えるのは、工藤公康さんですね。後輩の僕が名前を出すのはおこがましいんですけど。学年はひとつ上、同じサウスポーということもあって、かなり意識していました。強すぎる西武の中心的なピッチャーでしたから」
黄金時代の西武を支えた工藤は、移籍した福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズでも先発投手として投げ続けた。通算勝利数は224。
「西武投手陣の中心には郭泰源さん、工藤さん、渡辺久信がいて、誰と投げ合っても大変でした。僕はよくコーチなどに『工藤を見て勉強しろ』とか『工藤に投げ勝てるようになれ』と言われたものです。工藤さんは体格的に大きくはなかったですけど、優勝争いをするチームで長く活躍されました。
年齢も近いし、オールスターで一緒になることもあり、いろいろな話を聞かせていただきました。パ・リーグはDH制でピッチャーに投げることもないので相手投手を意識することはないんですけど、工藤さんだけは特別でしたね。まあ、あくまで戦うのは相手のバッターでしたけど」