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ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
「背筋が凍った…松山英樹やべえな」天才ゴルファーが“俺は一番になれない”と悟った衝撃の18ホール「たぶん僕は彼らほどゴルフが好きじゃなかった」
text by

桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2025/03/11 11:01

学生時代はプレーヤーとしても活躍した黒宮幹仁さん。2022年から松山英樹のスイングコーチを務めている
同い年の選手に引き離されまいと、黒宮のハートの火はさらに大きくなった。「自分は学生でチャンピオンになって、段階を踏んで遼と同じ場所に行かなくちゃいけない」。2年生になって福井工大福井高に編入し、新天地で将来のプロ入りを改めて誓った。
しかし同じ2008年、全国高校選手権を制したのはその頃、いよいよ頭角を現した松山だった。黒宮の中学生時代の淡い記憶はその後、時間の経過とともに少しずつよみがえる。
「高校生のときは一緒に回る機会に恵まれなかったんです。でも大学に入ってから(黒宮は日大、松山は東北福祉大)、リーグ戦で練習場で打っている英樹を見て、本気でヤベエと思いました」
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力感に満ちたダイナミックなスイングから繰り出される弾道を目の当たりにして、背筋が凍る思いがした。恐ろしく高く、速い。
「なんかもう、枠が、規格が違った。中学の時(の松山)は体のサイズに見合わないほど大きなスイングをしていて、エネルギーがボールに伝わっていなかったんです。でも体ができて、ついたパワーが、当時と同じ大きなスイングアークに追いついた」
脳裏に焼きつく松山の衝撃的な一打
松山は2011年、大学2年の春にマスターズに初出場。同年秋にはプロツアー・三井住友VISA太平洋マスターズで石川以来のアマチュア優勝を果たす。そして翌12年、登竜門と目される日本学生ゴルフ選手権競技でプロ転向前の最後のタイトルを目指した。
場所は埼玉県の狭山ゴルフ・クラブ。黒宮は「おそらく、人生で一番練習した」時期を経て、直前の関東学生選手権で後続に大差をつけて圧勝。その勢いのまま松山とぶつかった。いや、ぶつかろうとした――。
最終日を迎えた段階で、松山とは5打差の2位にいた。同じ最終組で回ることを考えれば、早いうちにプレッシャーをかけられれば逆転の芽が出てくる。そう、ファイティングポーズをとってティイングエリアに立った瞬間、松山に衝撃的な一打を見せられた。
「左サイドの315ヤード先にフェアウェイバンカーがあって、それを越えていったんですよね……。うわ、コイツはやっぱりヤベエと思った。ゴルフの優勝争いも普通は、(マラソンのように)メンタルや体力の配分をしながら回っていくんです。でも『これは最初から本気で殴り合わないといけない、エンジン全開じゃないとヤバい』と思った」
集中力をスタートから極限まで高め、8番を終えたときには3打差まで詰め寄った。
ところが、黒宮にとっては思いもよらないシーンが訪れる。12番でイーグルを取り、ラストスパートだと思った瞬間、「頭が真っ白」な状態に陥った。