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ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
「ガリガリでパワーもなかった松山英樹が…」天才ゴルフ少年が挫折したライバルの急成長「中学時代は石川遼を倒すことばかり考えていた」
posted2025/03/11 11:00

2012年、日本学生ゴルフ選手権で史上10人目の大会連覇を達成した松山英樹(当時大学3年)。現在コーチとして松山を支える黒宮幹仁さん(左)も2位入賞を果たしていた
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桂川洋一Yoichi Katsuragawa
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提供:日本ゴルフ協会
PGAツアー通算11勝、そのうちの1勝はマスターズ。孤高の道を歩み、2月で33歳になった松山英樹にも、初々しさでいっぱいの学生時代があった。
中学2年生の春に地元の愛媛を離れ、高知の明徳義塾中・高へ。東北福祉大2年時の2011年に出場したマスターズでローアマチュアに輝き、目をキラキラさせて将来の米ツアー挑戦を胸に誓った。大学4年の春にプロ転向して日本ツアーで賞金王に輝くと、すぐに主戦場を米国に移して現在に至る。
つまり、アマチュアとして過ごしたのは大学3年生の終わりまで。キャリア最後の学生タイトルを手にしたのは2012年8月、日本学生ゴルフ選手権競技という試合だった。通称”日本学生”は、日本ゴルフ協会(JGA)が主催する、ツアープロへの登竜門のひとつと言うべき大学生中心の大会。松山はこの年、2位に6打差をつける圧勝で史上10人目の連覇を達成した。
アマ最強・松山英樹に最も近かった男
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結果ひとつで物事を判断しないところあたりが将来の大器である。当時の松山は直前の全米アマチュア選手権で惨敗し、世界の壁を改めて痛感。日本の学生相手に大勝したところで心の傷は癒えず、「こんなもんス。自分はこんなもんス」と嘆きっぱなしだった(その時の様子については雨宮圭吾氏の記事を参照願いたい)。
この大会の最終結果を見ると、現在日本で活躍する中堅世代のプロの名前もチラホラあるから面白い。木下稜介(大阪学院大)に幡地隆寛(東北福祉大)、堀川未来夢(日大)といった具合。松山の相棒である早藤将太キャディもいる。
そして、彼らを押しのけて松山に最も近かった選手、つまり2位で終えたのが当時の日大のエース。幼い頃の実績で言えば、間違いなく世代の最上位レベルにいた。黒宮幹仁は現在、スイングコーチとして松山を支え、昨年のパリ五輪銅メダル獲得にも貢献したその人である。