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サークル出身の経歴は「マイナスに取られることが多かったです」大阪国際女子マラソンで衝撃の日本人1位…23歳新ヒロインが実業団入社までの波乱万丈
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山崎ダイDai Yamazaki
photograph byAFLO
posted2025/03/02 11:02

大阪国際女子マラソンで日本歴代10位の好記録で日本人トップに入った小林香菜。現在所属の大塚製薬に入社するまでは紆余曲折があったという
加えて、練習外のいわゆる体育会的なカルチャーにも衝撃を受けた。
「合宿の時とかみんな行動が早いというか、テキパキしているんです。練習とオフとのメリハリをつけるのもすごく上手で、こういうのはやっぱり強豪出身だと鍛えられているんだろうなと思いました」
それでも内定以降、少しずつチームの合宿などにも参加していく中で、一歩一歩そのギャップを埋めていった。自信を持っていた距離走の分野では、単発の練習であれば通用する部分があることもわかってきた。
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そうして大学を卒業し、本格的にチームの拠点である徳島に居を移した今年の5月ごろには、それなりにチームの練習にも順応しはじめていたという。
その後も本来持っていたポテンシャルが、実業団のハードトレーニングで急速に開花していく。夏になるころには、秋の駅伝メンバーに入れるレベルにまで走力が上がっていた。設定タイムも、常に上方修正が基本。7月には翌年の大阪国際女子マラソンへの挑戦も決まった。
その後は大阪への「40km走のトレーニングのつもりで」出場したはずの12月の防府読売マラソンで2時間24分59秒の大会新記録をマーク。「選手生活を通じてそのくらいの記録が出せたら、実業団に来てよかったと思ってもらえると考えていた」という河野監督の思惑を、わずか1年足らずで飛び越えていった。その後の大阪での大激走はすでに述べたとおりだ。
なぜ「異色の経歴」から急成長を遂げられたのか?
傍から見れば、あまりにも唐突なシンデレラストーリーだ。ただ、その物語は決して偶然の産物ではない。
そう感じた理由のひとつ目は、小林の圧倒的な練習量だ。
そもそも大学時代もサークル所属でジョグだけとはいえ、単純な距離で言えば月に600km以上走っていた。量で言えば十分、体育会レベルだ。それが実業団に入ったことで、より練習量が増えた。
「朝練のフリージョグや、アップとダウンで走る距離が人より多いんですよね。そもそも走力が低かったので、その上ケガをしたら終わってしまう。なので、ケガの予防も兼ねてなんですが……」
そう本人はサラッと語るが、入社以降、月に1000km近く走ることが当たり前になっていた。夏以降は1000kmを超え、アルバカーキでの事前合宿などもあった11月以降は、月に1300kmを走ることもあった。
量より質が重視されがちな現代にあっても、少なくともマラソンにおいては練習量というのは大きな意味を持つ。それだけの練習を積んだ選手が好走したというのは、むしろ必然ともいえる。