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〈消えた天才〉大阪桐蔭・中田翔を泣かせた「甲子園史上最高のセカンド」地獄の時間で守備職人→センバツ優勝も…1年経たず早大中退していた
posted2025/02/25 11:00

常葉菊川時代の町田友潤さんは「甲子園史上最高の二塁手」との異名を取った
text by

間淳Jun Aida
photograph by
Kyodo News
美しい守備…しかし自己評価は高くなかった
観客の視線を集めた夏から17年の時が経った。だが、高校野球ファンの記憶には今も深く刻まれている。
「甲子園史上最高のセカンド」
その称号にふさわしい美しい守備だった。
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2008年夏の甲子園で、静岡県代表の常葉菊川(現:常葉大菊川)は準優勝を果たした。1983年創部と歴史の浅い常葉菊川の名前はこの夏、一気に全国区となった。常葉菊川が注目された理由は決勝に進出したチームの強さに加えて、ある選手の存在が大きい。セカンドを守っていた町田友潤さん。「セカンドに打ってしまえば望みはありません」の名実況が生まれたほどの守備だった。
町田さんが野球を引退してから10年以上経っているにもかかわらず、その名前や甲子園でのプレーは語り継がれている。ただ、本人は当時も今も「甲子園史上最高のセカンド」の評価に恐縮する。
「同世代でも上手いセカンドは他のチームにいたので、自分が一番と思ったことはなかったですね。横浜の松本幸一郎選手(現:東芝コーチ)や大阪桐蔭の森川真雄選手の方が上手かったですから。最近の選手たちを見ていても、守備位置を後ろに取れるだけの肩の強さを持っています。当時の自分よりも明らかに守備力は上だと感じています」
町田さんは謙遜するが、その守備はチームの窮地を何度も救った。外野に抜けそうな打球をグラブに収め、難しいバウンドも柔らかくさばく。常葉菊川応援席の悲鳴を大歓声に変えた。
大阪桐蔭相手に出た「最高の守備」
ファンの記憶に最も強く残っているのは、浦添商との準決勝だろう。5点リードの6回、常葉菊川は1死満塁のピンチを招く。浦添商の打者が放った強烈なライナーは二塁ベース上を襲う。センターへ抜けると思われた打球を町田さんがダイビングキャッチして、そのまま二塁ベースにタッチ。試合の流れを奪われかねない場面を併殺で切り抜け、チームを勝利に導いた。
町田さん自身が「最高の守備」と振り返るのは、試合には敗れた決勝の大阪桐蔭戦で処理したゴロだった。