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「英語も喋れないアジア人が単身で…?」20歳まで競技経験ゼロ…“普通のサッカー少年”が受験失敗を機に「全米最高峰」の大学アメフト部に入るまで
text by

北川直樹Naoki Kitagawa
photograph by本人提供
posted2025/02/10 11:01
NCAA1部のハワイ大学アメフト部で正キッカーを務める26歳の松澤寛政。高校まではサッカー少年だった男はいかに全米トップチームに辿り着いたのか
一方で、恵まれているとは言いがたい環境だったこともあって、入学した瞬間から「一刻も早く脱出する」ということに意識は向いていた。
アメリカのコミュニティカレッジは2年間かけて卒業するのが一般的だ。ただ、どうしても早くこの環境を脱したかった松澤は、1年半での卒業を目指すことを決めた。
「ここに長く居ちゃ絶対だめだって思ったんです。少しでも早く4年制のカレッジに編入しないといけない。とにかく卒業に必要な60単位を1年半で取り切ろうと。学校のアカデミックアドバイザーにも『そんなヤツはいない、無理だ』って言われましたけど、反対を押し切ってやりました」
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英語力はまだまだ不十分だったが、時間を掛けて単位取得のコツをつかんで取り組んだ。
「英語ができるかどうかと、単位が取れるかどうかは全く別。遠征中も先生と連絡を取ったり、リモートで授業に出たり。とにかくうまくやることに全力を尽くしました」
多忙な時期のスケジュールは、朝5時に起床し6時からの朝練習に参加。その後、午前中と午後は授業を受け、夕方にトレーニングを行ってから、夜は課題や勉強に取り組む。寮に戻るのが22時すぎで、そこから課題を片付け深夜に就寝というものだったという。
4年制大学への編入を目指し、キャンプ行脚も…
また、そんな学業と並行しながら、全米で行われる4年制カレッジのリクルーティングキャンプを飛び回った。
「SNS伝手に招待は来るんですよ。とにかく各地を回って自分の実力をアピールする必要があったんです。NCAA1部のチームのキャンプに参加して、コーチにアピールして、編入のためのオファーをもらうことに必死でした」
キャンプで相手となるのは、米国のハイスクールに通う松澤より4~5歳も若い子たち。皆が親に連れられてやってくる中、日本人の松澤のみがヨガマットを抱え、スーツケースを転がしながら、一人でフィールドに出てきた。
「コーチとかも『なんや、コイツ』って感じで(笑)。ろくに英語も喋れないアジア人が単身乗り込んでくるんです。これはかなりインパクトがあったみたいで。それなりに成績も残せたこともあって、どこに行ってもコーチが気にかけてくれましたね。キャンプの終わりには『来てくれてありがとう!』と言われて嬉しかったです」


