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「えっ、日本ハム?」まさかの連絡→大谷翔平の入団…当時コーチが体感した“大谷のナゾ”「不思議でした」千賀滉大も指導した田之上慶三郎の激動半生 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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posted2025/02/08 11:02

「えっ、日本ハム?」まさかの連絡→大谷翔平の入団…当時コーチが体感した“大谷のナゾ”「不思議でした」千賀滉大も指導した田之上慶三郎の激動半生<Number Web> photograph by KYODO

1990年代から2000年代にかけてホークスのエースとして活躍した“1億円投手”田之上慶三郎

「第一印象は野球小僧。そして能力はずば抜けていたけど、天狗にならない。自分で目標設定をしっかりしていたから、目指すところはまだまだ上という気持ちを常に持っていたように見えました。食事でもちゃんと写真を撮って栄養士に送ったり。意識が高かった。でも、根は素直な好青年だから、先輩たちにはイジられながら可愛がってもらっていましたね」

大谷翔平のナゾ「なんで?」

 打者・大谷と対峙することも多かった。二軍には打撃投手専門のスタッフがいないためコーチ陣が投げるのが一般的。そのため田之上は何度も、打席の大谷と“対戦”したのだ。

「大谷の打球は不思議でした。現役時代に散々打たれてきたので、大体バットに当たった瞬間の感じで、打球の勢いや飛距離は分かるんですよ。でも、大谷はそんなにバットを強く振っている感じがしない。感覚的にはライトフライの打球かなと思ったのがスタンドまで飛んでいく。自分が今まで培った感覚や常識を狂わされるんです。なんで?って」

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 田之上は日本ハムで2年間コーチを務めて退団すると、またソフトバンクにコーチとして戻った。

忘れられない“2人の選手”

 田之上が思うには「あまり手がかからない選手のほうが、すっと上の方へ行く」との印象があるという。ホークスでいえば千賀はその1人だった。

「あまりゴチャゴチャ言った記憶はないし、そもそも彼は自分で考えたいタイプ。話をすると、そこまで意識しなくても……と思うところまで突き詰める。マニアックなところがありましたね。自分で納得しないとやらないタイプでした」

 逆に一番手を焼いた選手を問うと、田之上は思い出し笑いをして名前を挙げた。

「スチュワートだね。まあ、子供だった。言うことは聞かないし怠け者だし。でも大リーグでドラフト1位の片りんはありましたよ。そんな体力でその球が投げられるんだから、もう少し練習やったら?って何度も言いました。今はだいぶ変わりましたよね。やるべきことをやれるようになって、もうチームでは先発の柱の1人ですから」

 18年間の現役を引退してもユニフォームを脱ぐことはなく、ソフトバンクと日本ハムで計16年間もコーチを務めた。

 そんな田之上が「一身上の都合」でソフトバンクに退団を申し入れたのは、23年のシーズン途中のことだった。何があったのか。

〈つづく〉

#3に続く
プロ野球“あの1億円投手”が驚きの転身「ラテアート、勉強してます」カフェのマスターに…ソフトバンク退団から1年「どんどん痩せて…“6kg”減」
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