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「えっ、日本ハム?」まさかの連絡→大谷翔平の入団…当時コーチが体感した“大谷のナゾ”「不思議でした」千賀滉大も指導した田之上慶三郎の激動半生 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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posted2025/02/08 11:02

「えっ、日本ハム?」まさかの連絡→大谷翔平の入団…当時コーチが体感した“大谷のナゾ”「不思議でした」千賀滉大も指導した田之上慶三郎の激動半生<Number Web> photograph by KYODO

1990年代から2000年代にかけてホークスのエースとして活躍した“1億円投手”田之上慶三郎

 引退翌シーズンから、ソフトバンクの指導者としてプロ野球界で次の人生をスタートさせた。09年からは秋山幸二監督のもとで一軍投手コーチ(ブルペン担当)を務め、攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩の「SBMリレー」を構築して10年のリーグ優勝に貢献した。その後は二軍投手コーチへ。12年には、まだ入団2年目だった千賀滉大を指導。同年はチームもウエスタン・リーグで優勝を果たして松山で10月6日に行われたファーム選手権に出場した。

「え、日本ハム?」大谷翔平が入団

 試合後に空路福岡へ戻り、妻の迎えの車で帰宅しているときだった。チーム打撃投手で同郷の先輩でもある濱涯泰司から電話がかかってきた。

「電話に出るなり『オマエ、クビなんか?』って。僕は何も聞いていないし『え、分かりません』と返すしかない。で、先輩からの電話を切った直後にマネージャーからかかってきた。なんで他の人が先に知ってるんやってなりましたよ(苦笑)。で、翌日球団に呼ばれて(コーチ職の)クビを言い渡されました」

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 そんな田之上に思わぬオファーが舞い込む。声をかけてきたのは日本ハムだった。

「クビになってどうしようと思っていた。日本シリーズが終わった後くらいに連絡がありましたが、僕はもう驚きしかない。え、日本ハム?って。全く繋がりなんてなかった」

 かくして13年から日本ハムで二軍投手コーチを務めることに。奇しくも同じタイミングで日本ハムのユニフォームを着たのが、ドラフト1位で入団した大谷翔平だった。ルーキー大谷は、最初の2月春季キャンプは二軍スタートだった。

「自分が大谷を預かるという意識はなかったかな。日本ハムは球団としてトレーニングコーチだった中垣(征一郎)さんを中心に、選手育成プログラムがしっかり出来ていましたから。我々首脳陣と球団では毎月1度はミーティングが行われていました。選手たちも大学から専門家を呼ぶなどして講習を受けたり、朝のこの時間の何分は必ず本を読むなど教育がなされていましたね」

 田之上が大谷と初めて対面したのはキャンプだったと記憶している。

【次ページ】 大谷翔平のナゾ「なんで?」

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