JリーグPRESSBACK NUMBER

「あんたら、ここで終わるつもりなの?」J2復帰カターレ富山のこれから…“69歳の熱血社長”左伴繁雄は言った「この人たちを残して離れるわけにはいかない」 

text by

宇都宮徹壱

宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya

PROFILE

photograph byTetsuichi Utsunomiya

posted2025/01/27 17:02

「あんたら、ここで終わるつもりなの?」J2復帰カターレ富山のこれから…“69歳の熱血社長”左伴繁雄は言った「この人たちを残して離れるわけにはいかない」<Number Web> photograph by Tetsuichi Utsunomiya

カターレ富山が11年ぶりのJ2昇格を決めた2024年12月7日、富山県総合運動公園陸上競技場でメガホンを握る左伴繁雄社長

「あれは富山のサッカーではない」へのアンサー

「自動昇格かプレーオフか、というのは2016年の清水で経験しているんですが、幸い2位でフィニッシュすることができました。あの年、自動昇格の可能性がなくなってガクンと落ちるチームを見ているんです。特にソリさん(反町康治)が率いていた、松本がそうでしたよね」

 2016年の松本は、優勝の可能性さえあったものの3位に終わり、プレーオフ準決勝で敗れている。こうした経緯をつぶさに見ていた左伴は、短期間でプレーオフにモードチェンジする必要性を痛感していた。

「そこで選手たちに強調したのが、この年の開幕前から言っていた『Next game is the most important game(次の試合が最も重要な試合)』。レギュラーシーズンだろうが、プレーオフだろうが、あるいはルヴァンカップや天皇杯であろうが、どれも『ただの試合』だと。ただし、どんな試合であれ『次は勝つ』ことが大事なんだと」

ADVERTISEMENT

 この「Next game is the most important game」の発想に加えて、今季のホームでの圧倒的な強さ、先行されても追いつく反発力が相まって、富山はプレーオフ優勝と11年ぶりとなるJ2復帰を果たすこととなった。

 余談ながら、決勝の後半でロングボールを多用したことについて「あれは富山のサッカーではない」という意見もあったという。それに対する、左伴の見解はこうだ。

「ウチはむちゃくちゃ泥臭いんだけど、状況に合わせた戦い方もできるんですよ。それともうひとつ。あの時に見せていた、強度と熱量と絶対に諦めない姿勢というのは、間違いなく富山スタイルの発露だったと思っています」

“嬉し涙の県総”で…なぜ左伴は仏頂面だったのか?

 2024年12月7日、県総に集っていた富山の関係者は、誰もが11年ぶりのJ2復帰を喜んでいた。嬉し涙で頬を濡らす観客も少なくなかった。

 そんななか、ひとり苦虫を噛み潰したような表情をしていたのが、昇格の陰の立役者である左伴だ。選手やスタッフを労う時、少しだけ微笑みを見せることがあっても、ずっと仏頂面を崩さない。昇格の現場に居合わせるのは、これが5回目。そんなに甘いものでないことは、嫌というほど熟知していた。

【次ページ】 年始に宣言「J2に長く居続けてはいけない」

BACK 1 2 3 4 NEXT
#左伴繁雄
#カターレ富山
#小田切道治
#松本山雅FC
#FC今治
#岡田武史

Jリーグの前後の記事

ページトップ