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「スポーツの力って何だろう?」小塚崇彦、畠山健介、中田英寿が能登支援を通じて考えること。「まだまだやれることはある」 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph by日本財団

posted2025/01/31 11:00

「スポーツの力って何だろう?」小塚崇彦、畠山健介、中田英寿が能登支援を通じて考えること。「まだまだやれることはある」<Number Web> photograph by 日本財団

支援先の住人が偶然フィギュアスケートファンで「縁を感じた」という小塚崇彦さん

僕はなるべく現場に行きたい

 ラグビー元日本代表の畠山健介さんは、地震から約1カ月後の昨年2月6日に災害支援チームのアスリート第1号として輪島市へ行った4人のメンバーの一人だ。畠山さんには「早く現地に行って被災者の力になりたい」という思いがあった。その背景にあるのは自らの経験だった。

 2011年3月11日、東日本大震災。宮城県気仙沼市にある畠山さんの実家は津波に流された。当時、神奈川県に住んでいた畠山さんが気仙沼に帰れたのは震災から約1カ月後。その時に感じたのは「単独では何もできないという無力さ」だった。

「2011年に多くの人に助けていただいてから、『困った時はお互い様』という思いを持つようになりました」という畠山さんは以後、2016年熊本地震など数々の被災地に行って活動するようになった。24年初頭にいち早く加わったHEROsの災害支援チームの一員としても「能登には6、7回行きました」と言う。

「ラグビーには『ハンドレンジ』という言い方があります。自分の手の届く範囲という意味です。僕は自分なりの解釈で、自分の手の届く範囲のものを大切にし、良いものにして次の人に渡していこうという考えを持っています。現場に行けない人ができる支援もありますが、僕はなるべく現場に行きたいという考えなんです」

 畠山さんに「アスリートは社会貢献に対してどのような力を持っていると思いますか」と訊ねると、「3つあると思っています」という答えがすぐに返ってきた。その様子からにじみ出るのは、日頃から自分の行動に対して明確な意味づけをしているという姿勢だ。

 畠山さんはこのように「3つ」を説明した。

「1つは対外的な発信力。あの人が言うなら自分も参加してみよう、困っている人の助けになることをしてみよう、と思えるきっかけになる発信ができるのがアスリートです」

「2つ目は受け止める力。アスリートには挫折や苦しいことを経験してきたことで陰の部分も必ずあると思うので、苦しみや悲しみを理解し、共感して受け止める力があると思います」

「3つ目はスペシャリストであること。スポーツで秀でている能力を活かして子どもたちを笑顔にしたり喜ばせたりできれば、被災地域や自治体が抱える課題に対して何か解決への糸口につながるのではないかと思います」

 こういった思いを抱きながら能登へ向かった畠山さんが、現地で感じた印象的な出来事がある。それは、小学校高学年から中学生年代くらいの多感な子どもたちとのやりとりの中でのことだった。

「震災があって絆が深まったという話を聞く半面、震災があったから一緒に過ごす時間が増えてケンカが増えたという声を聞いてハッとしました。中には『大人ってクソだなと思った』『役場は何やってんだと思った』と吐き出すように言う子どももいました。こういうことは身近な人にはなかなか言えないもの。その時に思ったのは、僕が外部の者だから本音を吐き出せるのではないかということです。

 やはり、被災地内のコミュニティでしかできないことも、外様だからできる関わり方もあります。だから、子どもたちが僕に話してくれたのであればそれを受け止めるのが僕の役割だろうなと思いました」

 では畠山さんはその時、どう対応したのか。

「僕も2011年の震災を経験していると前置きをしたうえで、『大人や役場がクソだと思うのはしょうがない。でもそれだからと言って、自分が頑張らない理由にはならないんだよ。本当にムカつくならこの状況を変えられる大人にならないと、また同じ苦しみを味わうよ』と伝えました。子どもたちがどう感じたのかまでは汲み取れませんでしたが、みんな黙って聞いてくれましたから、何かしら自分なりのヒントになってくれればという願いはあります」

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