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「選手権ヤバいな!」夢は日本代表でもプロでもなく…名門・青森山田の“人数合わせ”平凡なサッカー少年は室屋成だった「兄貴が…俺も!」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byKenzaburo Matsuoka/AFLO
posted2025/01/15 17:01
青森山田時代の室屋成。日本代表にも上り詰めたSBだが、中学時代は「普通で無名のサッカー少年」だったという
インターハイが始まる前、青森山田高校が大阪でキャンプを張ることになった。当時のゼッセルのジュニアユースの監督を務めていた杉山恵三(現NPO法人ゼッセル熊取アスレチッククラブ理事長)は大阪体育大学の出身だ。そして、当時の青森山田を率いていた黒田剛(現町田ゼルビア監督)は大学時代の先輩にあたる。それゆえ、大阪キャンプ中に欠員が出たため、練習試合をするために数人を派遣してほしいという依頼が杉山に入ったのだ。
だが、そのうちの一人に選ばれた室屋は「アピールのチャンスだ」とは思わなかった。野心などなかったからだ。どのようにして数人の派遣メンバーが決まったのかまではさすがに覚えていないが、自分から志願したわけではないことだけはハッキリしている。
人数合わせで…逆に力が抜けていたのかも
その意識はキャンプ合流後も変わらなかった。
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青森山田と、同じく高校サッカー界の強豪・星稜のBチーム同士の練習試合。青森山田側の一員としてプレーすることになった室屋は、サイドハーフを任された。当時の室屋はボランチを主戦場としていたのだが、欠員を埋めるための役割だったから、普段とは違うポジションも当たり前のように受け入れた。
「人数合わせで駆り出されているくらいだし、本来のポジションでもなかったので、割と気楽にプレーしていて。だから、逆に力が抜けていて、よく見えたのかもしれないですけどね……」
そこでプレーぶりを、黒田監督から評価された。ただ、その話を後日聞かされた室屋は小躍りするようなことはなかった。当時はごく平凡なサッカー好きの中学生だと自認していたのだから。
兄貴がうらやましい、オレも出てみたい
ただ、もうひとつ、その後の進路を決定づける出来事があった。
3つ上の兄の存在が室屋を刺激したのだ。中学卒業後に兄が進んだのは、和歌山県の強豪・近大和歌山高校だった。
高校3年になった兄は、奈良県で開催されたインターハイはもちろん、高校生にとって最高の舞台である冬の全国高校サッカー選手権に出場することになった。遠くの誰かではなく、3つしか歳の離れていない兄の存在はことさらにまぶしく映った。