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“共演NG”中日ドラ1・金丸夢斗、有名審判員の父が「ただ一度だけ息子の試合を裁いた日」マスク越しに見た投球に「いい投手になったなあ…」
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2025/01/09 11:02
「希望の星」としてドラゴンズファンの夢を背負う金丸夢斗
小学3年の夢斗が見た“景色”
審判が目立ってはいけない。つつがなく、もちろん正確に。試合は2時間1分、習志野が6対1で勝利している。大会本部が発表した観衆は2万3000人。その中に小学3年生の夢斗もいた。父が立っていた美しいグラウンドは、野球少年にとって最初の目標となったに違いない。
初めての球審は2013年夏。大会8日目の第1試合、福井商対聖光学院だった。
「スコアは2対1。好ゲームでもあり、忘れられませんね」
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失策1、引き締まった試合は8回に決勝点を挙げた福井商が制した。試合時間1時間54分。スタンドはお盆ということもあり、3万5000人が詰めかけていた。
父と息子は別の球場へ
野球少年を息子にもつと、ほとんどの親は送迎や応援に時間と労力を費やす。しかし、金丸家は試合の日程が重なれば、父と息子はそれぞれ別の球場へ向かうのが当たり前だった。
「私は年間で7、80試合、審判をやっていました。もちろんその予定がない日は息子の野球を見には行きましたが、舞台はそれぞれという感じでしたね」
そんな父のことを、夢斗は中学時代に作文に書いている。
「土日に家にいないので、少し寂しかった……。なんて書いてありましたね。でも私が(高校時代に果たせなかった)夢を追っていることは、十分に理解してくれていたみたいです」
一度限りの“父子共演”
選手として甲子園に立つ夢は、息子もかなわなかった。それどころか新型コロナの感染拡大により、最後の夏は甲子園へは通じていない独自大会になった。家族が出る公式戦を、審判員は裁くことはできない。つまり「親子共演」は不可能なのだが、独自大会前の練習試合で特別に球審を務めた。
「それまでもキャッチボールとかはしていたので、夢斗がどれくらいの球を投げるのかを、ある程度はわかっていたつもりでした。でも、あの日は審判として見たんです。甲子園の準決勝や、決勝戦で投げる投手と遜色のない球を投げていました。本人にもそう伝えましたし、いい投手になったなあと」