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「優勝監督インタビューで、落合は号泣していた」本当は“熱い男”だった落合博満…巨人時代にも「長嶋監督との約束を守れなければ末代までの恥」 

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横尾弘一

横尾弘一Hirokazu Yokoo

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photograph byHideki Sugiyama

posted2024/12/30 17:06

「優勝監督インタビューで、落合は号泣していた」本当は“熱い男”だった落合博満…巨人時代にも「長嶋監督との約束を守れなければ末代までの恥」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

中日監督時代の落合博満(写真は2010年)。メディアや選手に対する“沈黙”の奥底で、さまざまな思いをめぐらせていた

骨折の完治を前に「5日間で3000球」を打ち込み…

 '96年には打点王を争う活躍で打線を牽引していたが、8月31日の中日戦で死球を受けて左手小指を骨折。チームは2年ぶりの優勝を果たすも、落合の日本シリーズ出場は危ぶまれる。

 だが、長嶋監督から「何とか間に合わせてくれ」と言われ、驚くべき練習を始めた。医師から「バットを握ってもいい」と言われていた日付は日本シリーズ開幕の日だったが、それでは間に合わないと、練習開始を1週間前倒しし、昼夜兼行にして5日間で10日分バットを振った。「昼夜で2日分と言うのは屁理屈だけど」と笑いながらも3000球を打ち込んだ。

 なんとか間に合ったオリックスとの日本シリーズ第1戦では3安打を放つ。「なぜそこまでするのか」と問われた落合は、「監督の指令には従わなきゃいけないでしょう」と涼しい顔で言った。

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 このように、落合は20年間の現役生活の間、三冠王宣言に代表される“オレ流”の振る舞いの裏で、常にチームの勝利を第一に考えていたことがわかる。

監督としても有言実行「心配するな、優勝するから」

 その後、2004年に中日で監督に就くと、初年度から目立った補強はせず、「個々の選手が実力を10%アップさせてくれれば優勝できる」と言い放ち、本当に優勝を果たしてしまう。もっと驚かされたのは'11年、8月3日時点でヤクルトに10ゲーム離されながら、大逆転で球団史上初の連覇を成し遂げたことだ。打線が振るわず、横浜に0対1で敗れた夜、まだヤクルトと6.5ゲーム差もあったにもかかわらず、「心配するな、優勝するから」と口にした。確かに、直接対決が12試合残されており、数字の上では逆転できるのだが……。

「12試合のうち、9試合がナゴヤドームだろう。これに全部勝てばいい。その他のカードは、負けないようにやっていくから」

 結局、名古屋でのヤクルト戦を8勝1敗で見事に逆転優勝。ユニフォームを脱ぐ最後の年まで落合は「有言実行の男」だった。

【次ページ】 あの落合博満が号泣した日

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