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野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
芸人→最弱プロレスラーの異色経歴で…なぜ下関に“ベイスターズの店”を? あるファンの数奇な人生「若い子は下関で生まれた球団だと知らないんです」
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)公式Xより引用
posted2024/10/30 17:05
ベイスターズの「故郷」下関出身のプロレスラー、ラブセクシー・ヤング(右)。98年の日本一の際、地元でのパレードを見て熱狂的ファンに
ヤングは悔しかった。そして、誕生の町なのに、何もない下関の町に腹が立っていた。ここには何もない。横浜に行きたい。ベイスターズの本拠地である横浜は、必然ヤングの憧れの地となった
ヤングが高校3年生になった1998年。ベイスターズは日本一になる。下関では優勝パレードが行われ、権藤博監督以下、石井琢朗らがオープンカーから手を振っていた。あの時、沿道にひしめいた人たちのよろこび、叫び、大盛況に沸いた下関の町は、ヤングの脳裏に今も深く焼き付いている。
「あの歓声が忘れられなかったんでしょうね。そして、あのパレードが決定打となって、上京することを決意しました。住んだのは横浜線の相原でしたけど、神奈川は僕にとっては天国でした。ハマスタにはすぐに観に行けましたし、毎日のようにtvk(テレビ神奈川)でベイスターズ戦が見られて……」
ベイスターズを追いかけ上京…芸人→プロレスラーの道へ
地元の高校を卒業したヤングはベイスターズを追いかけるようにして上京した。
芸人になるため芸能事務所の預かりとなったが、ひょんなことから西口プロレスの手伝いをすることになった。最初こそリングに上がることだけはと、断固拒絶していたが、ある日、先輩レスラー「ラブセクシーローズ」からセコンドとして声を掛けられ、新たな人生を歩むことを決意する。
ハタチの若者。そして、「(ボビー・)ローズの次は(アーニー・)ヤングだろう」というイカれたベイスターズ的思考で、西口プロレス所属レスラー「ラブセクシーヤング」が誕生する。
しかし、想定外のことばかりだった。
なぜ、芸人になったはずが、プロレスのまねごとをやっているのか。そして、あんなに強かったベイスターズはなぜ見る影もなく弱くなってしまったのか。聞いていた話と違う。
憧れの選手たちはみんないなくなり、聖地・横浜スタジアムには閑古鳥が鳴いていた。それでも足繁くハマスタに通ったヤングは、そこでひとつのことを発見する。