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野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
芸人→最弱プロレスラーの異色経歴で…なぜ下関に“ベイスターズの店”を? あるファンの数奇な人生「若い子は下関で生まれた球団だと知らないんです」
posted2024/10/30 17:05
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
(L)JIJI PRESS、(R)公式Xより引用
カモン関門。窓の外は関門。外国の輸送船がいったりきたり。海の向こうは福岡ドーム。最終関門ソフトバンクホークス。源平・巌流島・幕末と大洋。なんて決戦と革命の息吹あふるる下関は捲土重来。やった。ついに日本シリーズだ。
10月21日。セ・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ第6戦。
3連勝から逆王手を掛けられ圧倒的なジャイアンツ勝利の空気のなか、劣勢をひっくり返してベイスターズがCSを制覇した瞬間。下関市観音崎町にある豚丼屋「B☆WHALE」の窓から、大洋ホエールズ/ベイスターズファンたちが闇の向こうの福岡へ向かって吼えたという。
なぜいま「下関でベイスターズが熱い」のか?
2024年秋。ベイスターズ誕生の地、下関が俄かに活気を帯びはじめている。
その中心にあるのが、昨年8月23日にオープンした「B☆WHALE」だ。店主の名はラブセクシーヤング。下関市出身、西口プロレスのレスラーである。デビュー以来、14年目にタイトル戦初勝利を挙げるまで負け続け、最弱の名をほしいままにする“世界一天井を見てきた男”は、何の因果か重度のベイスターズファンを患っていた。
小学校3年生だった89年、下関球場で行われたオープン戦。ルーキー谷繁元信が巨人のエース斎藤雅樹から打ってしまったプロ初ホームランを目撃し、ホエールズに心奪われた。この横浜大洋ホエールズというチームは僕らの町で誕生したプロ野球の球団だと聞き、少年ヤングの心は誇らしさで張り裂けそうだった。
しかしホエールズは下関に年に一度、オープン戦にしか来てくれない。それ以外はテレビで観ることも叶わず、学校のクラスメートたちにいくら大洋信仰を啓蒙しても、「ホエールズがベイスターズになっちまった」と騒いでも、興味を持ってくれる友達もほとんどいない。