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甲子園の風BACK NUMBER
「自分はもう2枚目なんやろうなって…」阪神2位・今朝丸裕喜に“エースナンバーを奪われた男”「ライバルで親友」間木歩の決意「4年後のドラフトは…」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/10/27 11:01
1年時から報徳学園のWエースとして活躍した今朝丸裕喜(右)と間木歩。今春のセンバツまでは間木がエースナンバーを背負っていたが…
「外野は野球をやってきて初めてだったので最初はどうなるかと思いました。でも、楽しかったですよ。ピッチャーも内野も、常に動かないといけないじゃないですか。結構しんどいんですけど、外野は打球が飛んできそうなときに集中すればいいので」
間木は中学時代は遊撃手だった。今はがっちりと、というよりどちらかと言えば少しふっくらした体格だが、中学の時は「体重は50キロ台でした」という。
だが、中学2年生の時に腰の分離症を発症し、半年間野球ができなかった。入院し、長期間身体が動かせなかったことで体重が20キロ以上も増え、従来のショートの動きができなくなり、投手に転向した経緯がある。
「もともと体が細かったので、体重が増えたことでちょうどいい体型になりました」
フィールディングに自信があるのも遊撃手の経験があるからだった。
日本代表でもキャプテンに…「なぜ自分が?」
そうした準備を重ね、集合した日本代表でも、間木はキャプテンに選出された。
「自チームで主将だった箱山遥人(健大高崎)や宇野真仁朗(早稲田実)でもなく、なぜ自分が?」
当初は戸惑いもあったという。
「報徳で一度キャプテンを降りている身なので、『ちゃんとできるのかな』とか、『僕についてきてくれるのかな』とか不安はありました。選手の数も報徳とは違いましたし、報徳の時と同じやり方だったらうまくいかないこともあると思うので、その場その場に合わせて状況を見て考えながらやっていこうと思いました」
個性が確立された選手が集う連合チームの主将は何かとうまくいかないこともある。それでも、言葉通り間木は多くの選手と触れ合いながらチームの先頭に立った。海外での慣れない生活リズムに、抵抗のあった食事。時にはチームメイトとはしゃぐ高校生らしい姿を見せたが、準優勝するまでの17日間、キャプテンとして任務を全うした。
そして、その隣にいたのはやはり今朝丸だった。