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紛糾した“誤審騒動”に「一本を取るしかない」…柔道81キロ級金・永瀬貴規(31歳)はなぜパリで圧勝できた?「会場は当日まで行きませんでした」
text by
小松成美Narumi Komatsu
photograph byNanae Suzuki
posted2024/10/20 11:00
パリ五輪柔道81キロ級で金メダルを獲得した永瀬貴規(31歳)。畳外の喧騒に翻弄されず、連覇を達成できた秘訣はどこにあったのか
決勝で一本が決まったその時、会場にはスタンディングオベーションが起こっていた。
「聞いたことのない大きな拍手に包まれたあの瞬間に、ああ、このパリで、自分の柔道を見せられた、という嬉しさを噛み締めていました」
重さ529グラムの金メダルを取り出して見せてくれた永瀬に「パリを振り返ってほしい」と告げると、彼は頷き、鮮やかに、滑らかに、その光景を語り出した。
2連覇を目指す永瀬がパリの地に入ったのは、試合日である7月30日の5日前だった。
「開会式の前日でしたけど、開会式には出ませんでした。柔道は、開会式の翌日に男女とも試合が始まります。そのため選手は全員、不参加でした。選手村にソファーやテレビが置かれた共同スペースがあるのですが、開会式もそこで少し見た程度です」
設備の問題も「全く不自由は感じなかった」
華やかで奇抜な演出の開会式に驚きや誹謗も集まったが、そうした雑音にも一切取り合わなかった。
パリオリンピックでは、選手村の食事や、宿舎のエアコン設備の不備など、競技以外の問題が取り沙汰されたが、永瀬自身は、「全く不自由は感じなかった」と笑みを浮かべる。
「エッフェル塔近くのパリ日本文化会館内にあるジャパンハウスの5階には、アスリートに日本食を提供するラウンジがありました。凄く美味しいので、昼と夜は毎日そこで食べていたんです。選手村の部屋にはエアコンはありませんでしたが、送風機があったので暑くて寝られないということもなかった。おそらく日本選手の棟は、全ての部屋に送風機があったはずです。リオではトイレが流れないなど、水関係で困ったことがありましたが、今回はそれもありませんでした」
パリに入ると、その居場所は選手村の自室とジャパンハウスと練習会場だけ。試合会場であるシャン・ド・マルス・アリーナへも行かなかった。
決戦の場を確認できる時間は十分にあったが、永瀬はそれをしなかった。なぜなのか。
「もちろん選手によっては、会場や、その雰囲気を試合の前に見て知りたいと思う選手もいます。実際、見に行った選手もいましたが、私は、行きませんでした。どんな会場でも、関係ない。そこで自分の柔道を貫くだけだ、という気持ちが強かったからです。オリンピックだから特別という思いもありませんでした。よく睡眠をとって、決まった時間に稽古をし、食事をとり、あとは体を休める。普段通りに過ごすことができました」