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「一番きつかったのは俺じゃない。誰だかわかるか」日本シリーズ完全試合継投の夜、落合博満が残した“ひと言” そのときエース川上憲伸は…
posted2024/10/14 11:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
JIJI PRESS
新章「それぞれのマウンド」より、2007年日本シリーズ第5戦で8回まで完全試合を続けた中日の先発・山井大介の“世紀の交代劇”の舞台裏を紹介する。落合監督はなぜ完全投球の山井に代えてストッパー岩瀬仁紀をマウンドに送る決断をしたのか。そのとき、エースの川上憲伸は何を見たのかーー。<全4回の第1回/第2回へ>
日本シリーズ史上初の“完全試合継投”
本書の原型となった短編がある。5年前にスポーツ総合誌Numberに掲載された「ストッパー岩瀬仁紀 生涯最高のマウンド」というノンフィクションである。
きっかけは2018年に中日ドラゴンズの岩瀬が現役引退を表明したことだった。中日の黄金期を支えたストッパーはその記者会見の席上で、20年間で最も心に残ったゲームを問われ、2007年の日本シリーズ第5戦を挙げたのだ。
あの試合か。
新聞紙上で岩瀬の発言を知ったとき、胸には驚きと、妙な納得が存在した。同時にほとんど忘れていたある場面を思い出した。
あの夜ーー史上初の完全試合継投で中日ドラゴンズが半世紀ぶりに日本一となったゲームの後、監督の落合博満は誰もいなくなったナゴヤドームの駐車場で口を開いた。なぜ、パーフェクトゲームを継続中の投手を降板させ、ストッパーの岩瀬をマウンドに送ったのか。なぜ、あえて批判の渦中に飛び込むような采配をしたのか。それについて、 チーム全体を一隻の船に例えて語った。
監督とは、選手とスタッフ、その家族までも乗せた船を目指す港に到着させなければならない。誰か一人のためにその船を沈めるわけにはいかない。
そう落合は言った。そして、去り際にひと言、こう残したのだ。
「でもな、一番きつかったのは俺じゃない。誰だか分かるかーー」
落合の言葉の真相を確かめるために…
その問いかけは締め切りの切迫感の中で置き去りにされ、時間の経過とともに記憶の片隅に追いやられ埋没していたが、岩瀬があの最終回を生涯最高のマウンドに挙げたことで脳裡によみがえったのだ。