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井上尚弥と“生涯無敗”リカルド・ロペスの共通点とは? 大橋秀行が肌で感じた“最強の条件”「負けたら終わり、命をかける…その考えがない」

posted2024/10/04 17:29

 
井上尚弥と“生涯無敗”リカルド・ロペスの共通点とは? 大橋秀行が肌で感じた“最強の条件”「負けたら終わり、命をかける…その考えがない」<Number Web> photograph by (L)Takuya Sugiyama/(R)Getty Images

28戦28勝(25KO)の井上尚弥と、52戦51勝(38KO)1分のリカルド・ロペス。ボクシング史に名を残す傑物たちの共通点とは

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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 伝説のチャンピオン、リカルド・ロペスが日本で初めて世界王者になったのが1990年10月25日のこと。敗れた大橋秀行は引退後、井上尚弥を4団体統一チャンピオンに育て上げるなどプロモーターとして大いに手腕を発揮しているが、ロペス戦の影響はプロモーター業にも及んでいるという。伝説の一戦の意味を34年のときをへた今、あらためて問う。(全2回の2回目/前編へ)

“生涯無敗”を貫いた伝説ロペス…親日家の一面も

 1990年10月25日、WBCストロー級(現ミニマム級)王者の大橋秀行はメキシコの無敗挑戦者、リカルド・ロペスに5回TKOで敗れて王座を失った。大橋が同じ後楽園ホールで世界王座を獲得し、日本人の世界挑戦連敗記録を「21」で止めてからわずか8カ月。ホールに集まったファンは大橋の敗れる姿に言葉を失い、ロペスの圧倒的な強さを目の当たりにして「世界にはこんな強いヤツがいるのか」とただただ驚くばかりだった。

 この勝利で「人生が変わった」というロペスはその後、大橋から奪った王座を21度防衛し、ライトフライ級も制して2001年9月までリングに上がった。最終的な戦績は52戦51勝(38KO)1分。アマチュアでも黒星のないロペスは生涯無敗を貫いて引退した。現在は母国でテレビ解説者のほか各地で講演を行って生活している。

 ちなみにロペスは大橋戦後、平野公夫、ロッキー・リンとの防衛戦でも来日し、タイと韓国での防衛戦では、日本でトレーニングをしてから現地に乗り込んだ。今回、大橋と再会するための来日がプライベートを含めて19回目の日本というから、ロペスが「日本は第2の故郷」というのもまんざらリップサービスとは言えないだろう。

 一方、大橋はロペスに敗れた後、WBAストロー級タイトルを獲得して王座に返り咲き、94年にグローブを壁に吊す。引退と同時にジムを立ち上げ、指導者として、プロモーターとして、非凡な才能を発揮することになるのだが、選手として経験したロペス戦がプロモーター業にも影響を及ぼしているという事実は興味深い。

【次ページ】 ロペスに聞いた「井上尚弥が無敗でいるためには?」

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