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“生涯無敗の男”リカルド・ロペスの衝撃「会長もトレーナーも真っ青に」大橋秀行が語る“伝説の一戦”ウラ側「相手が遥か遠くにいるような…」
posted2024/10/04 17:28
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
Hiroaki Yamaguchi
謎に包まれた“フィニート”リカルド・ロペスの実力
現在、井上尚弥らのプロモーターとして活躍する大橋秀行が「150年に1人の天才」というキャッチフレーズで売り出され、世界タイトルマッチを戦っていたのが1980年代終盤から90年代にかけてのこと。大橋は2度の世界挑戦失敗を乗り越え、1990年2月に韓国の崔漸煥を下してWBCストロー級(現ミニマム級)王座を獲得した。日本人選手の世界挑戦の連敗を「21」で止める歴史的な勝利だった。
そんな日本ボクシングの救世主が2度目の防衛戦で迎えたチャレンジャーがリカルド・ロペスである。大橋は9月24日に開かれたロペスとのトークショーで、この試合が実現した経緯を次のように明かした。
「あの試合は指名試合ではなく選択試合。メキシコの伝説的王者、フリオ・セサール・チャベスに『同じ階級じゃなくて良かった』と言わしめたボクサーがロペスさん。そんないい選手ならぜひやらせてほしいとお願いしたんです」
このときロペスは24歳(大橋は25歳)。数々の名選手を育てたメキシコのチャンピオンメーカー、クーヨ・エルナンデス氏の「最後の最高傑作」と言われ、その実力は高く評価されていた。アマ戦績は40戦全勝、ニックネームは“フィニート”(素晴らしい男)。とはいえ世界王者クラスとの対戦はまだなく、「試されていない」という指摘も的を射ていた。少なくとも当時、この痩身のメキシカンがのちにWBCストロー級王座を21度防衛、52戦51勝(38KO)1分という戦績を残して無敗のまま引退することになるとは、だれも想像できなかったのである。
大橋陣営もロペスが好選手であることを認識しながら、実際にはその力量を測りかねていた。いまほど簡単に情報が入手できない時代である。大橋陣営が目にした映像はたった2試合。当時の専門誌にヨネクラジム、米倉健司会長の当惑気味なコメントが掲載されている。