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「クリ、人と比べるな」テスト生プロ入団からWBC優勝監督に…栗山英樹を救った恩師の言葉「基本的に僕の人生は全部、挫折なんです」《NumberTV》
posted2024/09/26 11:05
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Tatsuo Harada
【初出:発売中のNumber1105号[挫折地点を語る]栗山英樹「己を試された試練の3年間」】
WBCで選手たちに手紙を
ふと、あの時のベンチの光景が脳裏をよぎった。ミスをカバーし合えず、まだチームを背負う立場ではない若い選手が敗戦の責任を感じてしまう雰囲気も漂っていた。
「『他人事感』。そういうものが少しでもあると組織は勝てないと、あの3年間ですごく感じました」
栗山は日本ハムの監督を退任して1カ月半後、'21年12月に日本代表の監督に就いた。そして'23年3月のWBCを迎えると、日本ハムでの失敗を糧にチームを束ねた。
「WBCの時は選手たちに『あなたのチームなんだ』と徹底して言いました。『俺のチームなんだ』とみんなが思っている組織が勝つと感じたからです。そういうことを手紙に書いて全員に渡したんです」
負けた意味を自らに問い続け、自分の弱さからも目を背けない。
それが栗山の「強さ」だった。
そんな栗山がプロで初めて挫折を味わったのは、東京学芸大から'83年のドラフト外でヤクルトに入団した新人の時である。
「テスト生でしたが、合同自主トレの最初の1週間で『なんてところに入ったんだ』 と感じてしまいました。打つのも投げるのも捕るのもレベルが違いすぎました。自信がないから余計に萎縮してしまって......」
恩師の言葉「クリ、人と比べるな」
そんな栗山の思いを察する人がいた。
二軍監督だった内藤博文である。
同期のドラフト1位、髙野光は新人で一軍の開幕投手に抜擢された。2位の池山隆寛も有望なスラッガーだった。一方、栗山は二軍でも主要メンバーに入れなかった。それでも、内藤がグラウンドの隅でノックを打ってくれ、ティー打撃に付き添ってくれるようになった。そんな最中に言われた。
「クリ、人と比べるな。俺はお前がちょっとでもうまくなってくれたらそれで満足だ。一回でいいから、一軍に行ってみようや」
栗山から怯えが消えた。
その後、一軍で494試合に出場し、'89年にはレギュラークラスの活躍をみせた。
内藤は栗山にとって、逆境のなかで人生の道筋をつけてくれた師となった。
恩義はいつまでも消えない。だから、日本ハムの監督として初めて優勝した'12年オフ、体調を崩していた内藤と再会した日は忘れることのできない一日となった。
「体が不自由になっても、喫茶店にあるほうきを持ち出して、僕にバッティングを教えてくれたんです。多分、監督の中では僕は22歳のままだったんです。......内藤さんは僕を救ってくれました。指導者としても、 僕のベースになっています」
栗山に勝負師らしからぬ温かい雰囲気が漂うのは、弱さと向き合った原体験があるからだろう。
劣等生のルーキーは39年後、世界一の監督になった。豊饒な言葉に生き様が滲む。
「基本的に僕の人生は全部、挫折なんです。 でも、艱難辛苦しか、人が成長するキッカケはありません。そう思っています」
<前編から続く>
【番組を見る】NumberTV「#5 栗山英樹 監督退任、味わい続けた敗北。」はこちらからご覧いただけます。