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“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「いきなり全国優勝」44歳玉田圭司はなぜ“高校サッカーの監督”になったのか? “引退後の喪失感”を満たした強豪・昌平高の緊張感
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJFA/AFLO
posted2024/09/20 17:01
今季から昌平高校の監督に就任した玉田圭司(44歳)。夏のインターハイでいきなり全国制覇を達成した
「指導者になってから日々勉強。やっぱり毎日サッカーに関わるっていいですね。生きている実感を得ています」
名門校の監督として終始引き締まった表情だったが、少しほころんで、こう続ける。
「僕は、昔からサッカー大好き小僧ですから」
玉田を初めて目にしたのは習志野高校時代だった。ボールを持つと相手の逆を突くドリブルで一気に突破し、あっという間にシュートまで持っていく。相手が寄せてくれば正確なパスを出してスルスルとゴール前に入っていくなど、アイデアと引き出しが豊富で常にゴールを狙える選手だった。
忘れもしないのは、玉田が大会8ゴールを挙げて4強入りに貢献した高校3年生のインターハイ。中でも3回戦の初芝橋本戦は衝撃的だった。自陣ペナルティーエリア付近でボールを受けると、そのまま相手ゴール前まで一直線にドリブルで運び、そのままGKとの1対1を制してネットを揺らした。これといったフェイントを入れていないのに、相手はまるで玉田を見送るかのように抜かれていく。圧巻のゴールに鳥肌が立った。
なぜ高校サッカーの監督になったのか
卒業後は柏レイソルに入団。プロのキャリアをスタートさせても、玉田の自由な発想や、じつに楽しそうにサッカーをするスタイルは一切変わらなかった。
その後の活躍は周知の通り。でも、なぜ玉田が高校サッカーの指導現場に立つようになったのか。
「巡り合わせですね。(2021年限りで)引退する4、5年前から指導者というか、教えることに対してすごく前向きに捉えていたんです。試合に出ながら若手選手にアドバイスをしたり、提案をしたりすることで、練習や試合中の後輩たちに変化があったんです。そう感じた時に、『指導者っていいな』と思うようにはなりました。ただ、引退したらすぐに指導者になろうとは思っていなくて」
引退後は、現役最後の所属先だったV・ファーレン長崎のアンバサダーを務める傍ら、サッカースクールなどに注力。そんな時に、熱心に声をかけたのが昌平高サッカー部を作り上げた藤島崇之前監督だった。