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83歳で電流爆破のリングに…ドリー・ファンク・ジュニアが叫んだ“信念”とは?「まだ、死ねない」ステージ4のがんと闘う愛弟子へのメッセージ
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2024/08/31 17:00
ドリー・ファンク・ジュニアの背中に電流爆破バットを振る大仁田厚。8月24日、富士通スタジアム川崎
ステージ4のがんと闘う西村修「まだ、死ねない」
最初に大仁田が被爆した衝撃に、コーナーにいたドリーは立ちすくんでしまった。大仁田が電流爆破バットを握ってドリーを襲った。
52歳の“愛弟子”西村修は人間の盾になって、ドリーを救った。
西村自身、ステージ4の食道がんを患っている。それは全身に散らばり、脳にも転移した。手術はできないので抗がん剤治療を続けている身だ。それでも、文京区議会議員でもある西村はプロレスラーとして、電流爆破のリングに上がることを決めた。
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5歳の息子もその友達とリングに上がって西村と記念写真に収まった。西村は幼い子からの強い激励を感じていた。
「息子のためにもまだ、死ねない。私自身にはまだやり残したこと、言い続けたいことがあります。プロレスとともに、政治とともに、まだまだ生きたい」
ドリーのスローモーションを見るようなスピニングトーホールドを引き継いだ西村は雷神矢口からギブアップを奪った。
66歳になった大仁田厚と「川崎」の記憶
そんなドリーや西村の姿を大仁田は見つめていた。大仁田自身の50周年。「川崎伝説」と銘打たれた試合は、旧・川崎球場の後に作られたフットボール場、富士通スタジアム川崎で8月24日に行われた。
FMWの全盛期に3万人、5万人の観客が押し寄せた記憶をたどるように、大仁田が選んだ場所だ。ターザン後藤、テリー・ファンク、ミスター・ポーゴ、天龍源一郎、ハヤブサ。
有刺鉄線、金網、電流爆破、地雷の鮮烈な記憶。
大仁田の川崎での興行は雨が降ったことがなかった。この日は雲が出てきて遠くではゲリラ豪雨になるくらいの稲妻が光っていたが、雨が落ちてくることはなかった。
試合前に控室を訪ねた時、本人は不在だったので話はしなかったが、大仁田はいつもツイている。
大仁田はドリーの背中をじっと見つめていた。大仁田にとってNWA世界王者のドリーは憧れであり、「雲の上の人」でもあった。66歳になった大仁田は同じリングに立った17歳年上のドリーに、変わらないリスペクトのまなざしを送っていた。
大仁田にしては控えめな50周年だったけれど、余計に男気を感じることができた。