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「僕の仕事はゴキブリ駆除でした」総合馬術銅“初老ジャパン”の最年長、大岩義明48歳の運命を変えたのは…「初老」の相棒との奇跡の出会い 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2024/09/01 11:03

「僕の仕事はゴキブリ駆除でした」総合馬術銅“初老ジャパン”の最年長、大岩義明48歳の運命を変えたのは…「初老」の相棒との奇跡の出会い<Number Web> photograph by AFLO

パリ五輪、障害を飛ぶ大岩義明とグラフトンストリート

 父の4人の姉のうち二人は、共にフィギュアスケートの全日本選手権で優勝経験がある藤森美恵子さんと長瀬洋子さん(いずれも旧姓・大岩)。さらに、競泳をやっていた姉の夫にあたるのが、1960年ローマ五輪の競泳男子800m自由形リレーで銀メダルを獲得した石井宏さんだ。大岩にはアスリートのDNAが息づいている。

「そういう存在が身近にいたことで、オリンピックに出るとか、メダルを獲るということが非現実的な夢ではなくて、現実に手が届くものだということを感じることができました。例えば県大会とかでいい結果を出しても、伯母や伯父には到底及ばない成績だなと感じて天狗になることもなかった。スポーツに対する取り組み方という点でも、目線を高く持てるという影響が自分の原点にあったのだと思います」

就職を選択、仕事は「害虫駆除」

 中学、高校時代は大阪や静岡の乗馬クラブにも通って技術を磨き、大学は学生馬術の常勝チームだった明治大学へ進学。主将をつとめた4年時には全日本学生総合馬術競技で優勝を果たした。しかし大学卒業を前に大岩は“現実”を突きつけられる。

「馬術を続けてオリンピックを目指すとなればやっぱり費用がかかる。当時(1999年)はインターネットも広く普及していないような時代でしたから、海外に出るにしても引き受けてくれる場所や方法にアクセスする術がなかった。そもそも自分の馬がいなければできないスポーツですから、馬を調達してその維持費を捻出して、なんてことは不可能だと思っていました。自分の家は馬の仕事をしているわけでもないから親に相談もできない。大学卒業と同時にここまでだな、と。自分で自分に言い聞かせていたところもありました」

 競技には区切りをつけ、普通に就職する道を選んだ。就職先はビルの管理会社。配属先は「害虫駆除部門」だった。

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