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「僕のせいで負けた」失意の銀メダリストを“父親”鬼コーチが抱きしめた…フェンシング・山田優が明かす「母子家庭育ち」「男子エペ家族物語」
posted2024/08/22 11:05
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph by
MATSUO.K/AFLO SPORT
「言ったら決勝戦、僕のせいで負けてしまったんですけど……」
悲痛に聞こえる言葉を絞り出すのは、フェンシングの山田優。8月2日、パリ五輪のフェンシング男子エペ団体で銀メダルを獲得した後に思わず本心が口をついて出た。前回の東京五輪では同種目で金メダル。再び追い求めた頂点への道は険しいものだった。
個人戦は準々決勝で惜敗「本当はショックだった」
7月28日の個人戦は準々決勝で敗れた。相手はフランスのヤニック・ボレル。延長戦の末、最後の1点を相手に奪われての惜敗。「メダルほしかったな」と言いながら悔しさを覆い隠すように笑顔で取材に応じてみせた。だが、心は泣いていた。目を閉じると敗北の残像に襲われた。
「夜寝る時に目をつぶるとあの負けた瞬間が何回も出てくるんですね。やっぱり本当は自分、ショックだったんだなって思わされました」
団体戦を控えた間のオフには妻に会った。頭を撫でられ、労いを受けた。
「いつもそんなことしないのに。でも素直に嬉しかったし、もうちょっと頑張ろうと思いました」
「僕は母子家庭で…コーチは本当に父親のような存在」
迎えた団体戦、準決勝のチェコ戦で山田はアンカーとして戦場のピストに立つ。8番手の加納虹輝から27-23の4点リードでバトンを受けた。しかし、そのリードを追いつかれてしまう。
「怒られると思っていました(笑)」
意識の先にあったのはベンチから見守るコーチのオレクサンドル・ゴルバチュク。2008年にウクライナから来日し、山田も中学2年から指導を受け、これまでさんざん怒られてきた。「サーシャ」という愛称を持つ情熱の指揮官は鉄拳を振るうときもあった。だが、山田はその指導にこう感謝する。
「僕は母子家庭で、父親っていうのをあまり感じたことがなくて。でもしょっちゅう怒りながらも情熱的に指導してくれるサーシャコーチと時間をともにして、お父さんってこういう感じなんだなって思えた。僕にとって本当に父親のような存在でした」