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大阪桐蔭「最強世代」あの夏のことは「正直、1ミリも思い返すことはない」…ロッテの“夏男”藤原恭大の現在地と、今も生きる西谷監督の教え
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/08/19 17:01
大阪桐蔭高時代の藤原
彼らが躍動した18年の夏の甲子園大会は確かに盛り上がった。藤原が甲子園バックスクリーンに放ったアーチはファンの脳裏に残る。ただ、村田修一打撃コーチが「過去は過去。大事なのは今日であり、明日。振り返るものではない」と選手たちに口酸っぱく言うように藤原もまた青春の日々をノスタルジックに振り返るようなことはしない。
「正直、1ミリも思い返すことはない」
毎日を必死に生きる。今を生きているのだ。だから、「この時期は高校野球のことを思い出しますか?」とメディアから聞かれると、少し困ったような表情を見せる。そして「正直、1ミリも思い返すことはない」と言う。それはそうだろう。毎日、今の自分と闘うガムシャラでギリギリな日々を送っているのだから。
そんな若者の今シーズンは逆風から始まった。「1年間戦う」ことを目標にスタートしたプロ6年目。しかし、現実は残酷だった。新しい打撃の形もフィットし手ごたえを感じながら調整を行っていたオープン戦で不運に見舞われた。3月10日のホークス戦(ZOZOマリンスタジアム)。右膝に自打球が直撃し、歩くことが出来ないほどの激痛が走った。
逆境に燃える男
浦安市内の病院での診断の結果、右膝蓋骨骨折と診断された。この時点で目標としていた開幕戦出場は絶望に。それどころか6月ぐらいまでは試合出場は難しい状況という診断結果だった。心が折れていてもおかしくはないが、藤原は逆境になればなるほど、燃える男だ。日々のリハビリにしっかりと取り組みながら、復活の日を虎視眈々と待った。
コンディショニングチームスタッフはこう証言する。
「普通、リハビリには波がある。状態が上がる時もあれば、必ず落ちる時もある。しかし、藤原は落ちる期間がなかった。右肩上がりに状態が戻っていった。そしてほぼ筋肉量を維持していた。本人の努力もあるけど、すごい。予定よりも早くグラウンドに戻ってきた」
怪我を経験して得たもの
下半身が動かせない分、上半身をしっかりと鍛えた。体幹を意識したバランストレーニングなど新しい事にも取り組んだ。ストレッチなど身体のケアにしっかり時間をかけるようにもなった。怪我をしないにこしたことはないが、逆境を経験した分、得るものは大きかった。
「朝からの練習の流れを確立できているのは大きい。アップから試合まで。そして試合後。毎日、一緒の事をやっている」と藤原。
プレーボールまでを逆算し全体練習より前にストレッチや体幹などを合わせて1時間ほど、身体を動かし、試合後も週に3回はウェートトレーニング。ホームゲームでは打撃で結果が出た時も、ダメだった時も必ず室内練習場に向かい、バットを振る。この日々の積み重ねが結果につながっている。本人も「しっかりと毎日、同じ準備をすることでうまく試合に入れるようになった」と手ごたえを口にする。