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「身長172センチ」「100年に1人の逸材」比嘉もえ16歳の“度胸たっぷり”な才能…アーティスティックスイミング代表、父は「あの野球選手」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2024/07/28 11:02
「100年に1人の逸材」とも言われる16歳の比嘉もえ
「誰と組んでも結果を出せる」比嘉の“非凡さ”とは
ここでアーティスティックスイミング陣営が取ったのは、6月のカナダW杯には「比嘉&安永」ではなく、「比嘉&佐藤」で出場し、両ペアを比較してより難度の高い構成を正確にこなせる組み合わせを選定するという戦略だ。佐藤はもともとデュエットの補欠として一緒に練習していたため、演技はだいたい身についてはいた。とはいえ、「比嘉&佐藤」での実績はなく、審判がどのような採点を出してくるか手探りな部分も当然あった。
結果として、比嘉&佐藤は急造ながら優勝。点数や状態から総合的に判断し、パリ五輪には比嘉&佐藤のペアでデュエットに出場することが決まった。
実は比嘉にとってペアを組む相方は3年間で3人目だ。
比嘉は22年ブダペスト世界選手権に、日本史上最年少の14歳で出場し、3つのメダルを獲得した。その時のデュエットの相棒は吉田萌(ザ・クラブピア)だった。現在のチームのキャプテンでもある。
3年連続のペア変更は異例だが、誰と組んでもすぐに結果を出していけるのは、比嘉の順応性の高さや、デュエットで重要な足技のテンポのところで、しっかりと同調性を出せるからに他ならない。そこに非凡なところがある。
やると決めたらとことんまでやる目的意識の高さや実行力も比嘉の長所だ。生まれ故郷の広島の中学を卒業し、高校に進学するタイミングで大阪の井村クラブに移った昨年の春からは、連日のトレーニングで筋力がアップ。今ではチームでリフトの土台を任されるようにもなった。
父は沖縄尚学“初優勝”のあのキャプテン
大きな武器はまだある。元プロ野球選手である父親譲りの度胸や、物怖じしない立ち振る舞いだ。
父の寿光さんは沖縄出身。沖縄尚学時代は4番・遊撃手として鳴らし、主将を務めた1999年センバツ高校野球では準決勝で優勝候補のPL学園を延長12回まで戦って8-6で勝ち、水戸商との決勝戦も制した。春夏を通じて沖縄県に初の優勝をもたらした時のキャプテンと言えば、思い出す高校野球ファンは多いのではないか。
寿光さんは多くのエピソードを残している選手でもあった。99年のセンバツでは、2回戦まではノーヒットと振るわなかったが、準々決勝で1番に“降格”させられて発憤。三塁打を含む5打数4安打とバットをうならせ、準決勝のPL学園戦から4番の座を取り戻した。
水戸商との決勝戦では、2回表に寿光さんの失策から先制を許したが、決勝戦が大会初先発となった照屋正悟投手に「俺もエラーしたから、お前も打たれていいよ」と声を掛けたというエピソードが残されている。
すると2回裏、沖縄尚学は寿光さんの長打を足がかりに2―2の同点に追い付いて振り出しに戻し、最終的には7-2で逆転勝利。紫紺の優勝旗が初めて海を渡った。
娘である比嘉はポジティブでフランクな性格。そのあたりは父譲りなのかもしれない。