バレーボールPRESSBACK NUMBER
「周囲は猛反対だった…」159cm佐野優子が“世界一のリベロ”になるために決断した海外移籍「石川君たちのように…女子もやっと増えてきた」
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byAFLO
posted2024/07/24 11:02
フランス、アゼルバイジャン、トルコ、スイスと欧州4カ国でプレーした佐野優子(写真は2012年ガラタサライ/トルコ時代)
佐野は2015年に現役を引退したあと、一時はエージェントを志した。
海外移籍は佐野の人生を変えたが、いい思いばかりでなく苦い経験も味わった。
最終的にはヨーロッパのエージェントと自ら英語でメールのやり取りをし、スイスイ契約を交わすまでになったが、最初は苦難の連続だった。ほとんど情報がない中、人のアドバイスを信じて失敗したり、エージェントにぼったくられたり、給料が一部未払いだったこともある。
だからかつての自身のように、レベルアップしたいという志を持って海外を目指す選手が、もっと楽に、当たり前に海外に出られるよう、現役時代に築いた豊富な人脈を活かして手助けができればと考えた。
だが現実は佐野の思うものとは違った。当時、何人かの選手から連絡を受けてチームを探すなどサポートしたが、違和感が募った。
「ちょっとオシャレ感覚というか……。海外に移住したいとか、海外でプレーしたらオシャレみたいな、そういう感覚の人もいて、自分の感覚とは違った。ガックリは来ました」
もちろんどんな理由で海外に行こうと自由なのだが、そこに自身が携わる意義を見出せなかった。
ヨーロッパとの距離的な問題など様々な事情も重なりエージェント業は断念したが、今、女子も海外でレベルアップし、代表も強くなるという流れができつつあることを歓迎する。
「真佑ちゃんも海外に1年行って、2年目も続けようと思ったのは、もっとレベルアップしたいという思いがあるからだと思う。それぞれ感じ方は違って、海外が合う、合わないはあるかもしれないけど、いろんな刺激があって、(バレーに)集中できる環境だと思います」
佐野は頼もしい後輩たちの出現に拍手を送りながら、今は一歩離れたところからバレー界を見つめている。
(#3につづく)
◆次稿では、京都・嵐山でクレープ屋を営む現在に迫った。店内には、あの京都府出身の日本代表選手のサインも!?