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野茂英雄に米スター選手が直接伝えた感謝「メジャーリーグはキミに救われた」…負けても称賛されたプレーオフの先発 「トルネード旋風」は何を残したか 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byKoji Asakura

posted2024/07/11 11:06

野茂英雄に米スター選手が直接伝えた感謝「メジャーリーグはキミに救われた」…負けても称賛されたプレーオフの先発 「トルネード旋風」は何を残したか<Number Web> photograph by Koji Asakura

1995年夏からアメリカにて野茂英雄を取材した記者が振り返る、メジャー1年目に野茂が得たもの、そして後世への影響とは?

 シャンパンファイトを終えたばかりのレッズの主砲・ガントだった。かつて、30本塁打・30盗塁の「30―30」を2年連続で達成。1994年にバイク事故で足を骨折、シーズンを棒に振りながら、この年は29本塁打、23盗塁の活躍でカムバック賞を受賞することになる。そのメジャーを代表するプレーヤーは、野茂への賛辞を惜しまなかった。

 真っすぐ野茂の方に歩み寄り、「メジャーリーグはキミに救われたよ」と握手を求めたのだ。

「楽しかったよ、ノモ。ありがとう。グッド・ラック!」

スター選手が野茂に感謝した意味

 1994年8月12日から1995年4月2日までの234日間、メジャーリーグはプロスポーツ史上最長期間となる「ストライキ」を行っていた。94年のワールドシリーズは中止となり、選手の年俸をめぐるオーナー側と選手会との対立は激化の一途で、当時の米国大統領、ビル・クリントンも解決へ向け、双方の歩み寄りを促す声明を出したほどだった。

「金持ち同士の喧嘩」と世間の理解を得られなかった。長期にわたったメジャーの中断で、ファン離れが真剣にささやかれたその時、救世主のごとく現れたのが野茂だった。

 日本からたった一人、メジャーに挑み、そして成功をつかんだ。そのパイオニア精神は国境を越えて称賛された。「ノモマニア」「トルネード旋風」と呼ばれたそのブームに後押しされるかのように、ファンは球場に戻って来た。その“活気”を蘇らせることに、野茂英雄の存在が、大きく寄与したことは間違いのないところだった。

 だからガントは、野茂へ感謝を伝えに来たのだ。何とも粋な歴史的ワンシーンを、最後に目撃することができた。

野茂はロッカールームで…

 野茂の会見が終わると、私は投手コーチのデーブ・ウォーレスのもとへ向かった。

「ありがとうございました。あなたの親切に、何度も助けられました」

「こちらこそ、失礼があったかもしれないね。今度会うときには、俺も日本語を勉強しておくよ。いろいろありがとう」

 握手を交わしたとき、私もふと、泣きそうになった。

【次ページ】 大谷&ロバーツに重なる関係

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