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「フィギュアスケートをしようよ」宇野昌磨は浅田真央に誘われ、高橋大輔に衝撃を受けた…オリンピックよりも大切にした「自分のなりたい選手像」
posted2024/05/17 17:20
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Takuya Sugiyama
5月14日、宇野昌磨が引退記者会見を開いた。
どこまでも笑顔であったことが示すように、「やりきった」充実を感じさせた会見。インタビュー形式で行われている前半には、シーズンを振り返る場面があった。背後のモニターには各大会の成績が映される。中国杯、NHK杯、グランプリファイナル2位、全日本選手権優勝、そして最後の大会となった今年3月の世界選手権4位。あわせて世界選手権フリーを終えた直後の写真も添えられていた。
2位が続いた前半の心境をインタビュアーに尋ねられると宇野は答えた。
「もちろん結果も求めたいと思う一方で、フィギュアスケートとして自分の全力をみてみたいという気持ちもあったので、僕としてはほんとうに満足している気持ちしか残っていないです。今映し出されているのも世界選手権直後の写真なんですけれど、ものすごく満足そうなやり切ったという顔をしているので、もちろんスポーツ選手なので結果が大事だと思うこともあるかもしれませんけれども、こうやって結果がふるわなかったときもこれだけの笑顔。この写真だけ見たらすごく幸せそうなので、それだけじゃないんだよ、というところもまた1つみえたところだなと思います」
その言葉と、4位という結果を思わせない笑顔の写真は、宇野の心持ちをあらためて示していた。同時に、結果を求める一方で「自分の全力をみてみたいという気持ち」という言葉は、宇野のスケーターとしての始まりを思い起こさせた。
態度も練習量も、浅田真央がお手本だった
宇野は5歳のとき、名古屋市内にある大須スケートリンクのスクールでスケートをしていた。そうするうちにフィギュアスケートとアイスホッケー、スピードスケートのどれに取り組むのか選択するときが訪れた。その中から選んだのはフィギュアスケートだった。
選択のきっかけとなったのは、その頃、同じ大須スケートリンクで滑っていた浅田真央の言葉にあった。
「フィギュアスケートをしようよ」