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「フィギュアスケートをしようよ」宇野昌磨は浅田真央に誘われ、高橋大輔に衝撃を受けた…オリンピックよりも大切にした「自分のなりたい選手像」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2024/05/17 17:20
5月14日、引退会見を行った宇野昌磨
当時は今のようにフィギュアスケートが大きな注目を集める競技ではなかったし、一般には男子よりも女子がやる競技というイメージがあった。
アイスホッケーも選択肢として考える中で、それでもフィギュアスケートを選んだ。浅田と同じ競技をやりたいという気持ちが勝っていた。
今日まで続く道に進むきっかけとなった浅田の影響はそればかりではなかった。浅田の練習量は当時から抜きん出ていて、それが手本となった。
大須スケートリンクはたくさんの利用者がいて、思うように練習できないこともあった。苛立つスケーターもいた。でも浅田はそうした態度を見せなかった。それも手本であった。
フィギュアスケートに進むきっかけとなり、取り組む姿勢を学び、いわば原点とも言える存在が浅田真央だった。
「僕は高橋大輔さんのスケートを見て…」
フィギュアスケートに励んでいた宇野は、やがて、ある演技を目にして衝撃を受けた。それは高橋大輔の『オペラ座の怪人』。2006-2007シーズンのフリープログラムだ。
当時宇野は小学3年生。高橋の生み出す表現に憧れ、目指すべき世界となっていった。
思いは消えることなく、心の中にあった。会見中、昨年9月のインタビュー映像が流れたが、その中で語っている言葉もそれを表している。
「小さいとき、僕が憧れていたフィギュアスケートというものが一体どんなものだったのか。僕は高橋大輔さんのスケートを見て、フィギュアスケートを選びました。もちろんジャンプの難易度が上がるってほんとうに素晴らしいことだと思うんですけど、やっぱり(表現と)両方があってこそのフィギュアスケート、自分がやりたいスケートというものを目指したいって今思っているので、僕は残っているスケート人生をかけて、僕が最初にやりたいと思ったことを、今だからこそ体現したいと思います。点数になりにくい部分を一生懸命練習しても、そこは自己満足の世界なので。でもその先に、フィギュアスケートというものに何が起こるのか見てみたいなと思います」
迎えた2023-2024シーズン、宇野はまさに体現してみせた。例えばNHK杯のショートプログラム、フリー双方で示したのは、曲の世界観を雄弁に伝える、表現を磨き上げた演技だった。