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「細胞もポジティブだったのかも(笑)」高橋藍22歳が語るイタリア3季目の進化「本当の意味でバレーボールが楽しめるようになったのは…」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byTakahisa Hirano
posted2024/04/24 17:02
イタリア・モンツァで3シーズン目を迎えた高橋藍。海外挑戦への転機を語った
「僕自身がこういう性格だから、細胞もポジティブだったのかもしれないですね(笑)」
苦しい時、追い込まれた時こそ平然と、それどころか楽しそうにプレーする。2季目の海外挑戦でようやく花開いた宮浦健人が「自分にプレッシャーをかけて追い込んできた」と話すのとは対照的に、18歳での日本代表初選出から19歳での東京五輪出場。さらにはイタリアで3季目を迎えたモンツァでの今季、まさに「順風満帆」の言葉を地で行く。どんな困難も笑顔で軽やかに乗り越えてきたように見える。だが、“次世代のエース”と期待を寄せられる選手であったにもかかわらず、意外にも当時を振り返ると「楽しい」という感覚を抱くことすらなかった、と打ち明ける。
「出されたメニューをやり切るのが精いっぱいで、それが自分のためだったか、といえばそうじゃないですよね。本当の意味で、バレーボールを楽しめるようになったのは、間違いなくイタリアに来てからでした」
「海外でレベルアップしたい」と思った瞬間
高橋にとって「一番大きな壁に直面した」と振り返るのが、今へとつながるターニングポイントと明かす、2021年の東京五輪、ブラジルに敗れた準々決勝だ。
「負けたら終わりの状況で、イランに勝ってベスト8に入った。それだけでもすごい、とは思うんです。でも正直に言うと、僕の中ではブラジルの試合しか覚えていない、というぐらい、何もできなかった。思うようにプレーできなかった、という記憶しかないんです。自分がもっとできたら、世界レベルに達するような選手であれば結果も変わっていたかもしれない。そう思えば思うほど悔しかった。『海外でレベルアップしたい』と思った瞬間があるとしたら、ブラジルに負けたあの時でした」
世界の高さやパワーに慣れるために女子バレー日本代表が練習パートナーとして男子選手を招聘するのは珍しい話ではない。それならば男子は、と考えると、日本では体感できない高さやスピード、球速も含めた威力を経験するためには、海外へ、と目を向けるのは自然な流れだ。何より、'14年に中大に在学しながら現役大学生として初めて石川祐希がイタリアへ渡り、今も続く道を切り拓いてきたことも大きい。
イタリアでフル参戦…学生生活を重んじるべきとの見方も
東京五輪に出場した高橋も、'21年12月に日体大在学中の現役大学生としてイタリアへ。ただし、すべてが同じではない。違ったのは石川がイタリアでプレーしながらも、4年間すべて全日本インカレに出場したのに対し、高橋はシーズン開幕から最終戦を終えるまで日本には戻らず、イタリアのシーズンにフル参戦した。
バレーボール選手、世界を視野に活躍するアスリート、と考えれば何ら不思議はない。だが大学生ならば学生生活を重んじるべき、という見方をする人もいる。時折さまざまな声が耳に届くこともあったが、「気にならなかった」と言い切れる理由がある。
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