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「狂った時代だった」曙の独占取材のため“名古屋→東京を経費でタクシー移動”した記者も…「紅白に一撃を食らわせた」ボブ・サップ戦前夜の熱狂
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byEssei Hara
posted2024/04/19 17:00
2003年大晦日に行われたボブ・サップvs.曙。空前の格闘技ブームも後押しして、瞬間最高視聴率は43.0%と同時間帯の紅白歌合戦を上回った
サップの告白「『曙を倒す』なんて言っていないよ」
衝撃のデビュー戦から約10年後、曙はサップと再会を果たす。そのとき「最初は君のことが嫌いだった」と明かし、ことの経緯を説明すると、サップは全てを理解したかのような微笑を浮かべながら答えた。
「一言も『曙を倒す』なんて言っていないよ。僕も対戦相手の名前を聞かされていなかったんだ」
さらにその後、曙は2015年12月31日のRIZINでサップとの再戦に挑んだ。結果は試合中の出血による負傷判定負け。リベンジはならなかったが、試合後はふたり揃って記者の前に現れ、笑顔で会見に応じた。
サップは「曙は前よりもガンガン前に来たし、身体も絞れていたし、パンチも強くなっていた」と宿敵の成長に目を細めた。
旗揚げ間もないRIZINにおいて、両者の再戦は認知度を高める“ブースト”として機能したはずだ。振り返ってみれば、曙は1993年に横綱に昇進したときも5場所連続で横綱空位が続いていた。“若貴の同期にして最強のライバル”というヒール的な役どころだったとはいえ、相撲界の救世主となったという見方もできる。
プロレス界にも貢献…“人生の横綱”曙の生き様
そういった意味で、大相撲時代と格闘家時代は相通じるものがあるのではないか。いや、格闘技と並行するように2005年から始めたプロレスでも、曙は救世主というべき立場だった。
というのも、K-1やPRIDEの台頭と同時にプロレスの人気は急落。プロレスラーのMMA挑戦は話題になったが、桜庭和志と藤田和之を除いて目立った活躍を見せられる選手がいなかったことも、その流れに拍車をかけた。
格闘技で大きな話題を振りまいた曙がプロレス界で救世主になるというのはなんとも皮肉ではあるが、元横綱という肩書きは絶大だった。曙が出場する大会はいやがうえにもファンの注目を集め、低迷していたプロレスの観客動員に貢献した。
得意技は巨体を最大限に利用した強烈なボディプレス。曙以上にこの技がハマるレスラーはいなかった。キックやMMAをやるよりも、相手を圧殺する方が“らしさ”が際立っていた。
曙の逝去が報じられると、各団体がこぞって哀悼の意を表明した。苦しいときに助けてもらった恩を、どの団体も忘れてはいなかったのだ。
大相撲、格闘技、そしてプロレス。ジャンルに関係なく、それぞれの分野で一時代を築き上げた曙こそ、“人生の横綱”だったのではないか。