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「狂った時代だった」曙の独占取材のため“名古屋→東京を経費でタクシー移動”した記者も…「紅白に一撃を食らわせた」ボブ・サップ戦前夜の熱狂
posted2024/04/19 17:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Essei Hara
あの熱狂は何だったのか。
2003年11月6日、列島は「曙、K-1参戦」というニュースに埋めつくされた。“若貴”とともに相撲ブームを牽引した元横綱が、相撲以外の格闘技に挑戦するなど誰も想像できなかった。世間は「嘘だろ?」と衝撃を受け、曙の動向に自然と引き込まれていったのだ。
「曙さんを倒すと言っている奴がいます」
後年の曙の証言によると、大会の仕掛け人だった谷川貞治氏との話し合いは、ボブ・サップ戦発表のほんの数日前の出来事だった。
「曙さんを倒すと言っている奴がいます」
それが谷川氏の殺し文句だった。最初からはっきりと名前を出されたわけではないが、相手が誰なのかを察することはできた。勝負師として胸が騒いだ。相撲で培ったものが他の格闘技でどこまで通用するのか――それを試したいという思いが、200kgを超える巨体を後押しした。
契約金は大晦日の2試合で1億5000万円だったという。契約通り、曙は翌2004年の大晦日にはホイス・グレイシーとの“相撲vs.柔術”の異次元対決を行っている。
顧問弁護士は「安い。その数倍はもらうべきだ」と難色を示したが、曙は「お金のためにやるわけじゃない。僕の価値がこの金額と思われているんだったら、それでいいじゃないか」と納得し、金銭的な駆け引きを一切することなく契約書にサインした。周囲の思惑とは裏腹に、曙の格闘技挑戦ははちきれんばかりの夢とロマンに溢れていた。
2003年大晦日の対戦相手がボブ・サップだったことも、大衆の関心を集めるうえで重要なファクターだった。それはそうだろう。対戦相手のサップは当時、K-1とPRIDEをツートップとする格闘技人気を牽引する存在だったのだから。
筆者の目に、この一戦は映画『キングコング対ゴジラ』と重なり合った。テクニックなど二の次。超ド級のスーパーヘビー級同士が向かい合うだけで絵になるではないか。
このカードが発表されたことで、曙は横綱時代以上の“時の人”となる。朝から晩まで追いかけるカメラクルーに辟易し、声を荒らげることもあった。週1回の休日は取材にあてられ、休む間もなかった。ある知人は単独取材をするため、名古屋から曙を乗せたタクシーに同乗し、東京までの道すがら取材を成功させた。曙の独占取材ができるなら、300kmを超える距離をタクシーで移動しても経費で落ちる、狂った時代だった。